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  • 2022.04.28
  • 水の月曜日
このお祭りはスペイン語で El Lunes de Aguasと言いヨーロッパ最古の大学の一つがあるサラマンカで復活祭から一週間後の月曜日に行われ今年は4月25日に祝います。簡単に言えば精進落としの乱痴気騒ぎでしょうか。キリスト教世界でクリスマスと並んで重要な祭りが復活祭で、その日に先立つ聖週間の7日間とそれ以前の灰の水曜日から始まる四旬節の40日間、合計47日間信者の皆様は肉食(欲)を絶って節制と祈りの生活を送りました。しかしスペイン国内はもとよりヨーロッパ各地から集まった血気盛んな学生たちにとってこんなに長い間の謹慎生活などは無理な話で、親元を離れた自由の身、青春を謳歌し放題となるのは自然の理でしょう。

 後に国王フェリペ2世となるスペインの若き皇太子は1543年11月13日ここサラマンカで結婚式を挙げました。敬虔なカトリック信者で道徳の庇護者でもある国王陛下にとってこの街には特別の思い入れがあり、そこでヨーロッパの知性を代表するサラマンカの学生たちがこともあろうに謹慎の時期に羽目を外したどんちゃん騒ぎに明け暮れるのを見かねてその期間を一週間延長し、市内紅灯の巷で人類最古のご商売をなさっていらっしゃったご婦人達を街の横を流れるトルメス川の向うへと54日間強制隔離するという行政措置を施行し学生たちが繰り広げる酒池肉林の大騒ぎに封印をしたのです。
その反動として復活祭から一週間後の禁が解かれた月曜日、この日を待ちに待っていた学生さんや従者、どさくさ紛れの若者たち、それほど若くない男たちも参加して花で飾り立てた小舟を仕立て川を渡り、ご婦人達を街へ連れ戻す道すがら久々の再会を祝って川辺の野原で大宴会を開きました。この伝統行事、現在では流石にご婦人達の川渡しこそありませんが川辺のピクニックはサラマンカ市の春の一大イベントとして盛大に行われています。


写真1.トルメス河畔での現代の“水の月曜日”のピクニック、背景はローマ橋と新旧カテドラル。

この日の定番ピクニック弁当がオルナッソhornazoという代物。今まで禁止されていた肉類のチョリッソ・ソーセージ、豚ロース肉、生ハム等をこれでもかと詰め込んで、これまたご法度だった卵も入れて焼き上げたがっつりヘビーなミートパンで今ではサラマンカ名物として専門店もあり、パン屋さん、お菓子屋さんはもとよりサラマンカ地区限定で全国チェーンのスーパーマーケットでも販売しています。一見ミートパイに見えますがパイ生地とちがって動物性油脂のラードを練り込みイースト菌を使って発酵させたパン生地を使用しています。


写真2.サラマンカの老舗菓子店(パティスリー)La Industrial謹製正統派オルナッソ。


写真3.Confitería La Indusrialのレトロモダンな店構え.


写真4.品揃えも時流に乗らないほとんど茶系のクラシック路線。

 サラマンカがいかにヨーロッパ中に名をはせた大学都市であったかはその学生人口の多さでも容易に想像できます。1561年マドリードの総人口が12,700人なのと比較して1584年度サラマンカの学生数は6,778人とのこと、良家の子弟達の留学生も多くて多分従者も引き連れての滞在となると大学関係者だけでも優に1万人は超えていたでしょう。やんちゃな学生が集まる大学都市サラマンカには、無頼の船乗りが集まる各地の港町と並んでヨーロッパでも一二を争う規模の遊興の街が存在し、いわゆるソドムとゴモラ状態ともいわれるほどだったそうですが、清濁併せ吞む懐の深さがサラマンカをして名高い学都にしたのかもしれません。
 清濁といえば当時流行していた勧善懲悪の騎士道物語への反動から生まれたとされる悪漢小説・ピカレスク小説の嚆矢『ラサリージョ・デ・トルメスの生涯』 の主人公はこのサラマンカ、それも水の月曜日の舞台となるトルメス川の中州で生れている設定もこの伝統行事の起源を知れば“さもありなん”と思わせます。
ところでなぜに“水”の月曜日なのでしょうか?一説によると四旬節と聖週間の間川向うへ隔離されていたご婦人達は街へ戻る時に橋を渡ることが禁止されていたので渡し舟を使ってお連れした際に川辺の大宴会でずぶ濡れになって水遊びをしたからとか、彼女たちがよく使用していた下穿きであるペチコートをスペイン語ではenaguasと呼ぶことからEl Lunes de Aguas と呼ばれるようになったとも言われています。
 現在知られている文献で最初にこの行事の言葉“水 aguas”が使用されているのはイタリアからの留学生の日記の中です。1599年フィレンツェからサラマンカの教皇庁立大学・Universidad Pontificia de Salamanca で民法と教会法を学ぶためにやってきたスペインとの関係深いグイッチャルディーニ家の子弟Girolamo da Sommaiaが書き残した『サラマンカのある学生の日記・ Diario de un estudiante de Salamanca』の中にdía de pasar las aguas 水辺で(またはペチコートと?)過ごす日との記述があるそうです。
1599年といえばスペイン黄金時代絵画を代表するベラスケスが生まれた年で、セルバンテスがドン・キホーテを書き始めた時期とも一致します。1603年から1607年に書かれたこの日記はスペインが最も精彩を放った黄金時代の学生や庶民の日常生活、大学や教会の様子が事細かく記されている貴重な資料と言われています。そして彼が読んだ多くの書物の中には1605年に出版されたドン・キホーテの前編がありますが、その時は印刷されたばかりでまだ一冊に製本されていない分冊の状態だったそうです。


写真5.製本された1605年発行ドン・キホーテ前編の初版本。

特派員

  • 山田 進
  • 年齢寅( とら )
  • 性別男性
  • 職業スペイン語・日本語通訳

スペイン政府より滞在許可と労働許可を頂き、納税・社会保険料納付をはじめて早37年。そろそろシルバー人材センターへの登録も視野に入った今日この頃、長い間お世話になったこの国のことを皆様にご紹介できることを楽しみにしています。

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