私は、人の話を最後まで聞かないイタリア人に囲まれている。その会話法は、イタリア人の彼らの間ではうまく行っているのが伺える。他者の話を最後まで聞かないどころか、同時進行で話し始めてしまっても声の大きさで他者を抑制しながら自分の話を推し進めている場合が多い。音量で勝てない人は、ジェスチャー入りの会話法で対決に挑む。たとえ戦いに敗れて話の出だしを挫かれても、挽回のチャンスを常に狙っている。隙をついて2回でも3回でも発言を再度試みる。チャンスを逃し続けて話題が変わってしまった後でも、言いたかった事を言いきっている。もしかすると話題が変わった事さえ気が付かずに、自分のトークスペース挽回のみに集中しているに違いない。
イタリア人同士の会話を観察していると、カラオケを思い出す。私が音楽家であるにも関わらずカラオケに行った経験がほぼ無いのは、歌うのが下手なのと曲を知らない故なのだけれど、数少ないカラオケの経験で印象に残った事は、仲間の誰かが歌っている時は残りの人は、次に歌う曲選びで一生懸命だ。 ステージ演奏家である私には、受け入れがたいシーン。
ところで、私のイタリア語は鈍い。適切な単語が思い浮かばなくて止まったりする。その上、イタリア語文法は複雑だ。女性名詞か男性名詞なのか、複数または単数、正しい冠詞を名詞の前に挿入、時制に関する複雑で多数な種類などなど、イタリア語文法に含まれる様々な難関をクリアして正しいイタリア語を話すために、出来損ないの私の脳みそはオーバーヒート寸前の状態になる。そんなこんなでモタついている内に、人の話を最後まで聞かないイタリア人の攻撃にさらされっぱなし。そうでなければ、もたついている間に、聞いているイタリア人の関心が薄れていくのを察知する、、、
君は僕の話を最後まで聞くんだねぇ、と感心された事さえある。キャッチボールのリズムを崩されたかのような冷やかしにも聞こえる。そんな時私はちょっとムッとして諭す。「日本語はね、文章の最後に動詞が来るの。しかもその文が肯定文か否定文かは、最後まで来ないとわからないようになっているの。相手の言っている事を出だしだけでわかったつもりで、遮って話すと大失敗と大失態に繋がるから、日本では『人の話を最後までよく聞け』と言われているのよ。」
こう言うとイタリア人は、スリリングに謎々ごっこでも出来そうな日本語に一瞬だけ興味を持って目を輝かせる。
私がイタリア人用の日本語教室を設立したら、話を最後まで注意深く聞かないと勝てないようなクイズスタイルの授業を作っちゃうぞー!!