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  • 2019.07.02
  • コピー
手先が器用な日本人。きっとあなたも物作りが得意なお一人に違いありません。
皆さんはどんな物を作るのでしょうか。趣味から出発して、独学で極めていって作り上げた芸術作品や、習い事から発展して自他ともに認めるような作品になったり、経過は様々でしょう。そして、時間、体力、気力、お金、情熱をつぎ込んで作り上げた作品で自画自賛もするでしょうが、披露して人にも評価してもらいたいのも本当の気持ちでしょう。

そして、ここで最初のジレンマが生まれることに、、、

自分の作品が他人にも評価されて満足感に浸るだけでは終わらないことがあるからです。「この作品をぜひ、譲ってください。」「お幾らで売っていただけますか?」「同じようなものを作ってみたいので作り方を教えてください」などなど、、、

趣味で作ったものでさえ その愛着、執着、固執の深さは計り知れないものですが、一方著名な芸術家達も、その芸術品の完成度に比例するのか反比例するのかともかく、技術や創作過程を明かすことには異常な抵抗感があり苦悩に苛まれるようです。

世界的に有名なイタリア人作曲家、モリコーネもその内の一人として、しばしば会話に登場します。オーケストラの練習の直前まで彼の楽譜は配布されず、練習が終わった途端に楽譜は素早く回収され、彼の手元に一つ残らず戻ってしまうために誰もコピーができなかったとか。


彼の作曲スタイルは概してシンプルなものが多いのですが、たった一つまみの塩がお料理の出来栄えを変えてしまうのと同じで、モリコーネのシンプルな曲を耳コピをして楽譜に書き起こせたとしても、たった1音を間違えただけで彼のスタイルから外れてしまうのには、驚きです。それは、彼の作曲様式におけるアイデンティティーが確立されている、ということと、完璧なバランスをとった作曲方法だからだとも言えるでしょう。

さて、先日新聞を読んでいて、自分の作品に執着する巨匠の一人を思い出させられました。



フィレンツェのサンタ マリア デル フィオーレ大聖堂のクーポラ(ドーム部分)は1430年頃にブルネレスキというルネッサンス最初の建築家によって作られました。ブルネレスキは、金細工師、彫刻家でもあったそうですが、彫刻のとあるコンクールで散々競り合った挙句、最後にはライバルに負けたことから彫刻家は断念して建築家を目指した、という有名な話があります。

一回コンクールで負けたからって挫折して職業を変えるなんて、随分とドラマチックな展開をする人物だなぁ、なんて呑気に考えたのですが、きっと背景にはいろいろな事情があったに違いありません。一説によると、ライバルのギベルティ(Ghiberti)を過小評価して馬鹿にしていたとか、、、ライバルだけにでなく、他者に悪ふざけをしてからかうことが好きだった、とも書かれています。

この大聖堂を訪れたことがある人ならば、クーポラを見上げて金色のモザイクの美しさに感動したことでしょう。



が、更なる感動は、モザイクの中にあるのです。つまり、どのようにしてクーポラが作られたかということ。このクーポラは、ブルネレスキが生涯をかけて作ったこと、更には彼が独自に開発した前代未聞の建築法で作られています。前例の無い建築法であったことから、おそらく携わる作業員に説明がうまく伝わらなかったのでしょう。ブルネレスキは、食用カブを使って積み上げながら、クーポラに使うレンガの積み上げ方を説明した。で、おそらく説明した後は、カブで出来たクーポラを崩して食べてしまい、作業員は書き留め損なったに違いありません。

ブルネレスキも、自分の作品に固執して彼の発想や技術を盗まれることを恐れた一人だった、と言われています。

新聞の記事の方は、実はブルネレスキについて書かれていた訳ではなくて、このクーポラに登る許可を持っているたった一人の作業員についてでした。彼は、1年に一回のメンテナンスでクーポラに登ります。クーポラは途中までならば旅行者でも登れますが、彼は、クーポラの上に乗っている金色の丸い玉のところまで行く鍵を持っている世界でたった一人の人物です。まぁ、窓がついているなんて!しかも、なんと小さな窓!

特派員

  • 三上 由里子
  • 年齢戌(いぬ)
  • 性別女性
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地に、ソロコンサートアンサンブルの編成で演奏活動の傍ら、演劇、画像、舞踊やライブ演奏を組み合わせたマルチスタイルの舞台プロデュース。

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