• 2022.11.17
  • ブリアンツァの家具
ミラノとその北方にあるコモ湖の間の地域を、ブリアンツァ(Brianza)と呼びます。町中の喧騒に疲れたミラネーゼがお引っ越しをする近場の行先のナンバーワン。なぜならこの地域には、2つの川が流れ、なだらかな丘陵地の谷間には木々に覆われたカーブの多い坂道が続き、3つの広大な自然公園と、大小合わせて5つもの湖があり、これを聞いただけでもアウトドアライフが充実しそうなことがわかるでしょう。が、都会ミラノと有名人たちが盛んに訪れるコモ湖に挟まれている立地条件にも関わらず、ブリアンツァは田舎臭い、とミラネーゼ達は内心思っているらしいのです。実際には、1800年台に家具製造で大成功を収め目覚ましい成長を遂げたので、密かなお金持ちが沢山いる地域なのですけれど。


歴史を遡るとブリアンツァは元々貧しい地域で、農民達が地道に畑を耕し、質素に暮らしていました。それこそ昔話の桃太郎の最初のくだりにあるように、おじいさんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に、といったような生活だったに違いないと思います。ですが「、、、おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこっこどんぶらこと、川上から大きな桃が流れてきました。」とはならなかったのが、ブリアンツァ。

桃から生まれた桃太郎ではなくて、ナポレオンがイタリア王になった事が、ブリアンツァの運命を変えたのでした。その頃、ナポレオンに仕え、ミラノに駐在していたあるフランス人大佐は、背丈が2メートル3センチもあったとか。この長身のおかげで威嚇性があって敵が怖気付き、手柄を立て易かったに違いないのですが、反面、その背丈のせいで大佐には困っている事がありました。それは、背丈に適した大きさのベッドが存在しなかったので、大佐は快眠できずにいたのでした。

困り果てている時に、ブリアンツァにはフランス革命の象徴と見做されている自由の樹木が植えられていると聞きつけて、ブリアンツァに住んでいる評判の良い建具屋に事情を説明しました。その木で特製ベッドを作ってもらった事が、後にブリアンツァが家具製造で発展を遂げる事になるきっかけとなったのでした。そのベッドの評判はあっという間に口コミで世間に知れわたり、ブリアンツァは地域全体で家具製造業に乗り出しました。


家具製造事業に乗り出す前にも、ブリアンツァは製糸とか布だとかで経済発展を試みたそうですが、ミラノを含める近辺都市の事業拡大の勢いにはかなわず、失敗に終わっていました。それゆえに、家具事業はブリアンツァの町興しに大事な役割を果たし、地域ぐるみで全力投球をして事業に励んだ良い結果となったのでした。

25年前にミラノに来た当初、ブリアンツァを通過しながら、経緯を知らずに家具販売店が多い場所だなぁと確かに思ったのでした。イタリア製を強調したアンティーク家具が日本でもよく売られていますが、もしかしたら、ブリアンツァ製の物もあったりして?!私の住まいに、ブリアンツァのアンティーク家具?例えば大使のベッドのような特製ベッドとか?

いいえ、ありません、、、

特派員

  • 三上 由里子
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地にソロとアンサンブルの演奏活動中。クラシックからポップスまで幅広いジャンルのレパートリーを持ち、イタリアの人気コメディアンの番組にバンド出演中。

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