イギリスでは国全体としてはヨーロッパ系の白人が民族構成の76%を占めていますが、ロンドンでは白人のイギリス人が占める割合はこの10年で58%から45%に減少しています。
イギリスの先住民はローマ人やノルウェー人、アングロサクソン人、ケルト人など、西暦11世紀以前にイギリスに定住したさまざまな民族集団の子孫であると考えられています。
現在もその子孫がこの国最大の民族であることに変わりはありませんが、それ以外のあらゆる民族の集まり、いわば千変万化し続ける民族や方言、宗教の集まりが地球上で最も多民族的な首都をつくりあげ、今や街の新たなマジョリティ(多数派)となっています。アジア人やアフリカ人、東ヨーロッパ人、カリブ人、南アメリカ人、さらにはドーバー海峡の向こう側からのフランス人、イタリア人、ドイツ人といったコーカサス人が、このマジョリティを形成しています。
現在、国籍や言語、文化が融合した民族の集団がロンドン市人口に占める割合は55%、そしてこの割合は今も増え続けています。
かつてアングロサクソン系の白人でプロテスタント信者の人々を「WASP」(white Anglo-Saxon protestants)と呼んでいましたが、彼ら白人住民たちはその昔、自分たちをこのまちの主(あるじ)だと思っていました。けれども押し寄せる移民の波と、さらには外国人たちの出生率の高さに、いつしかその座を奪われる運命にあったのでした。そして、ロンドンは長きにわたり多文化が共存する「サラダボウル」と化しています。
植民地時代は植民地から、連邦国家となってからは連邦から、史上最大の帝国である大英帝国は長年にわたり、さまざまな民族を国の中心を担うこの大都市に引き寄せてきました。
今やロンドンは地球上で最も国際色豊かな都市のひとつです。近年実施された国勢調査によれば市民には非常に多くの少数民族が含まれていて、その内訳はインド人・バングラデシュ人・パキスタン人が10%、黒人系アフリカ人5%、カリブ海諸国の黒人5%、中国人1%、その他の少数民族が3%となっています。
ロンドン市民のほぼ22%が欧州連合(EU)圏外の出身です。また、たとえば市内に毎日通勤してくる何百万という人たちの居住地も含めると、いわゆるロンドン首都圏にはオックスフォードやブライトンといった中心街まで入ることになるでしょう。
では、この多様な移民コミュニティが各ロンドン特別区のどこにあるか、見ていきましょう。ご存じでない方のために説明すると、ロンドン特別区は実質的に自治体としての機能を担い、ゴミ、街路や学校、公園、墓地などの管理を行っています。あらゆる意味で一つの世界として成り立っているシティ・オブ・ロンドン、ここは例外として、ロンドンは計32の特別区に分割されてています。イギリスで民族性や移民について語る場合、自国で生まれてイギリスに永住するようになった第一世代の移民の人たちだけを指します。したがって、ジャマイカ人やパキスタン人、インド人など、戦争で苦難にあった移民のコミュニティは以前にくらべ少なくなっています。その多くが何世代にもわたりすでにロンドンの地に住み続けており、第一世代ではなくなっているからです。一方、彼らよりも最近、ここに移住してきたポーランド人やナイジェリア人などは、この第一世代の移民を代表する存在のように思われます。
イタリア人は市内のほぼいたるところで見られますが、イタリア移民のうち最近の国勢調査に協力しているのはごく少数しかいません。この国を信用していないからか、英語の読み書きが不十分であるからというのが一般的な理由でしょう。けれども、ケンジントン・アンド・チェルシー区ではイタリア人移民は大きなコミュニティのひとつとなっています。シティ・オブ・ロンドンではアメリカ人が最も多く、フランス人、オーストラリア人がこれに続きます。
ベクスリー区に多いのはナイジェリア人、インド人、アイルランド人、インフィールド区では主にトルコ人やギリシャ人、ポーランド人が暮らしています。
キングストン・アポン・テムズ(王立特別区)で多いのはインド人やスリランカ人、韓国人で、ハーリンゲイ区にはポーランド人、トルコ人、ジャマイカ人のコミュニティがあります。
ケンジントン・アンド・チェルシー区にはアメリカ人、フランス人、イタリア人がたくさん暮らしていて、グリニッジ区にはナイジェリア人、ネパール人、インド人が多く住み、民族料理のレストランを営んでいます。
なんとカムデン区で最大の移民コミュニティはアメリカ人のコミュニティで、次いでバングラデシュ人、アイルランド人たちのコミュニティが大きく、カムデン区から離れ特別区の境界に近いバーキング・アンド・ダゲナム区ではナイジェリア人やインド人、パキスタン人が大勢暮らしています。
- 2020.10.06
- 多民族の首都 ロンドン