- 2016.05.02
- ベルリン王宮
大規模な都市計画を含め、建設工事が頻繁にあるベルリンですが、その中でもとても特別なプロジェクトがベルリンの中心部で行われています。それはベルリン王宮の再建です。1443年にホーエンツォレルン家の為に建てられたこの王宮は、その歴史において何度も改築されました。特に重要な変化は、18世紀初頭のバロック様式への改築で、その後何百年にも渡ってこの地区の景観を作り上げてきました。第二次世界大戦で王宮は著しく破壊されたため、旧東ドイツの政府は1950年、辛うじて残っていた部分も含めた廃墟を取り壊す決定をしました。1976年には空き地になっていた跡地に共和国宮殿(Palast der Republik)という施設が建てられました。旧東ドイツの国会、人民議会の入ったこの建物は、国民に開かれており、政治的・文化的なイベントの開催場所としても使われました。ベルリン王宮の大工事 フンボルト・ボックスの中にある戦前のベルリン中心部とベルリン宮殿の模型 アスベストが多く使われたこの建物は1990年に閉鎖され、2008年までの間にアスベスト除去や取り壊し作業が行われました。ドイツ統一の頃から既に議論されていた宮殿の再建は、最終的にはコンペに託され、フランコ・ステラとイタリア人建築家のアイデアが選ばれました。再建される王宮は、外観をバロック調としながら、内装はモダンなものになる計画です。周囲の環境にも配慮されており、博物館側は伝統的な、市街地アレクサンダー広場側は現代的な造りが予定されています。しかしこの再建については、様々な理由で議論が絶えません。王宮の向かいには、ベルリンの重要な博物館が密集するエリアがあります。王宮にも、今はダーレム地区にある国立民族学博物館とアジア博物館が移設される予定で、この移設によって両博物館はより大きな展示スペースを確保することができます。正式名称を「フンボルト・フォーラム」というこの王宮。モットーは、非ヨーロッパ世界のものをグローバリズムの文脈で展示しつつ、ヨーロッパ中心主義に陥らないことです。フンボルト・フォーラムの模型 王宮再建を巡る議論の中では、植民地時代を思い出させる建築物を再現することに反対する意見もありました。このような利用も植民地時代と向き合うまた別の方法になります。例えば、ホーエンツォレルン家の宮殿に、外国由来の美術品が展示される、という皮肉が批判を呼んでいます。ホーエンツォレルン家は、統治者としてアフリカにおける何千人という人々の奴隷化、弾圧、虐殺に責任を負っています。そもそも、ヨーロッパの博物館によるそのような所有が正当かどうかも疑問視されています。植民地時代に奪取された美術品などは返却するべきではないでしょうか。更には、「世界に開かれた」などと宣伝することや芸術品を陳列することが、現地の文化圏の人々からそれらを目にする機会を奪うことになる事象と、どう折り合いをつけるのでしょうか。それ以外のところでは、なぜ古い建物にこだわって建築的に新しいことに挑戦しないのかという意見もあります。博物館としてふさわしい建築物を造り出す代わりに、宮殿の形骸だけを拾ってくる意味は何でしょうか。しかしながら、一番大きな問題は6億ユーロ近い建築費用であったりもします。いまだ足りない4800万ユーロを募金で賄おうという話ですが、ベルリンらしく2019年までに工事が終わらないのではないでしょうか。48Mioユーロがまだ必要。2016年3月 寄付自動販売機。ここに寄付を入れてください。 20ユーロを寄付すると写真にあるように小さなオレンジ色のステッカーをこのベルリン城のモデルにはることができます。