この写真に映っている長髪の女性がローザ・パークスの姪、レア・マッコーリー。
- 2017.04.25
- アメリカから家を丸ごとベルリンに
ライアン・メンドーサ(Ryan Mendoza)。1971年生まれのニューヨーク出身者で、現在はナポリとベルリンを拠点に活動する芸術家。彼と同世代アーティストの間では、美術界での成功のステップは、今や「ヨーロッパからアメリカへ」というのが常識的ルートだと言われはじめて久しい。個人的には、そんなタームが叫ばれるのは、芸術の分野で深淵なる歴史を擁する欧州への反発と、ある種アメリカが抱くヒストリカルな芸術文化におけるルサンチマンの表れではないかと思うのだが。ところが逆にライアンは、そのアメリカを後にしてヨーロッパを中心に活動を展開している。そういう意味では、現代の芸術家らしからぬベクトルでキャリアを積んでいるとして、ヨーロッパへ旅することが芸術家の進むべき道だという風潮があった20世紀アメリカの、その当時の作家達の軌跡を辿る希少性の高い芸術家だと、多くの評論家は論じている。さて、場所はベルリン。4月8日のオープニングではじまった彼の作品展示。場所は彼のスタジオの敷地内。そしてその作品とは、家である。タイトルは、Rosa Parks House。しかもこの家、なんとアメリカから運ばれたという。彼はアメリカから一軒の家を何のためにベルリンへ運んだのだろう。1955年、アラバマ州モンゴメリーの白人男性に、白人専用バスであることから乗車をあきらめるよう促され、これを拒否した女性がその家主、ローザ・パークスだ。その出来事は、アフリカ系アメリカ人の市民権運動を象徴する事件となり、のちに「市民権のファーストレイディ」と呼ばれるようになるが、命の危険を察知し、ローザとそのファミリーはデトロイトに移り住むことになる。1957年から1959年まで、教会の援助と縫製の仕事からの収入で15人の家族と生活することになったのが、このローザ・パークス・ハウスである。ローザの姪にあたるRhea McCauleyは、デトロイト市が彼女の家を解体するという計画の情報を入手したとき、この市民権運動のアイコンとなったローザ・パークス・ハウスをどうにか維持したいと考えていた。ちょうどその頃デトロイト美術館にいたライアン・メンドーサは、家にフォーカスした造形作品を製作するアーティストでもあるが、このアイコンを消滅させることのないようにレアが彼に助けを求めたのが、ベルリンへ運ばれるきっかけだった。レアはその家を市から500ドルで買取り、メンドーサとその助手達とで丁寧に解体し、シッピング。そしてベルリンにあるメンドーサのスタジオの敷地内に、分解した材料を運び入れ、みごとに再建した。メンドーサは、アメリカが自身の立場を見直すまで、自身のことを一時的にもベルリナーだと言っている。さて、この展示の為のオープニングパーティーでは、若者達やヒップスターがたくさん集まり、この企画について直接議論し合ってることは皆無だったような。最近はギャラリーのオープニングでビールを無料で振る舞うことは滅多にないため、それ目当てで来ている人たちも多かったようだ。とにかくアーティスト個人でやったこととしては予算的にとても大きなプロジェクト。多少はそういった部分からメンドーサの裕福さについてゴシップ的に語る面々もいたり。異民族同士の衝突が話題となる昨今、作品のテーマとしては注目に値するはず。オープニング当日はローズ・パークの姪、レア・マッコーリーもサイン会など開いたり、マイクで挨拶したりしていた。 場所:Wriezener Straße 19, Berlin-Wedding