お次は、オランダからの移民の歴史にまつわる品々を収めているオランダ博物館です。博物館に行くために道を渡ろうとしたら、別のオランダ国旗が目の片隅に飛び込んできました。そこは「ポッピン・ユイス(Poppin Huis)」という名の由緒ある菓子屋で、伝統的なオランダの衣装を身にまとった2人の子供がロゴになっています。今回はさっきより運がありそうです。カウンターで働いている男性の名前はランディーといって、オランダ系3世だといいます。質問をしたら喜んで家族の歴史について語ってくれました。彼の祖父母は1847年にフェニックス号という船に乗ったのですが、この船は火事で破損して沈んでしまったそうです。多くの人々が火事や冷たい水によって命を落としたものの、彼の祖父母はなんとか生き延びてホランドに辿り着くことができたのだそうです。ランディー自身はオランダ語を話せないけれど、オランダ人の血が流れていることからお店の名前にユイスという言葉を入れることにしたと話してくれました。ホランドで生まれた多くのアメリカ人はオランダ語を話せるのか質問すると、話せる人もいくらかはいるが、世代を追うごとにオランダ語の必要性は薄れてきているとのこと。彼の父親はいくらか話せたらしいのですが、彼自身は2~3語ぐらいしか知らないそうです。それでも、ホランドにとって伝統的なオランダ文化は特別な意味を持っています。ホランドにはオランダにまつわる博物館や文化的観光地がいくつもあり、一年を通してさまざまなお祭りも開催されているのです。また、メキシコとラオス出身の住民が増えてきていることから、オランダのイベントと一緒に、それらの文化的行事も行われているそうです!ここホランドの人々は、さまざまな文化を上手に取り入れて楽しむ才能があるということだと思います。私は、オランダとアメリカの味を融合してできた作りたてのオランダ菓子、クッキー風味のケトルコーンを一袋買って、今日オランダ語を話すアメリカ人を見つけるぞという気持ちを胸に、店を後にしました。
道の向かいの博物館は、受付の女の子以外は誰もおらず、空っぽでした。ホランド出身か尋ねると、彼女はホランド出身ではなく、オランダ語も全然分からないとのこと。館内の展示品の数はかなり少なめではあるものの、ピクルスで有名なハインツなどのオランダ企業の興味深い白黒写真がいくつか展示されていました。たかだか数世代前の1847年に、オランダ人がここに来て街を築いたのだなと思うと、奇妙な感じがします。
次に訪れたのはウィンドミル・アイランド・ガーデンです。ここはオランダ風の公園で、風車と、土産品店が入った小さなオランダ家屋が数軒あり、スタッフは全員伝統的なオランダの民族衣装を着ています。オランダでもなかなか見られない光景なので、これには驚きました! ちょうど結婚式が執り行われていましたが、私はすぐにこの公園の目玉である白鳥という名前を冠した風車「デ・ズワーン(de Zwaan)」に向かいました。そこで行われていたツアーでは、この風車は1964年にこの公園のために、オランダからホランドに運ばれてきものだと、ガイドが説明していました。今でもこの風車は現役で、ここで育てられた花が売られています。チューリップが咲く時期には、風車がチューリップに囲まれた風景を楽しむことができますが、今は緑に覆われ、暑さにやられて死にかけている花もありました。オランダの民族衣装を着た年配の女性に、この公園にオランダ語を話せる人がいるか尋ねると、「今日はいないと思う」という返事が……。確かにこの公園では、伝統的なオランダの風景がかなり厳密に再現されていますが、他には楽しめる要素はなさそうです。新郎新婦がオランダ系だからこの場所を選んだのか、それともこのガーデンが好きだから選んだのか気になります。そして今日の日帰り旅行の最後目的地は、ネリス・オランダ村というオランダのテーマパークです。入り口からまず可愛らしいこのテーマパークは、伝統的なオランダ様式で作られており、各エリアにはそれぞれ異なった役割があります。プレイエリア、農場、チーズ屋、木靴工房、ロウソク工房、デルフト陶器店(デルフトはオランダの陶芸です)、土産品店、子供たちのためのオランダワッフル作りのエリアなどがあり、ここでもスタッフは全員伝統的な民族衣装を身にまとっています。敷地は広々としていて、楽しく歩き回ることができます。テーマパークの真ん中には小さな運河が走っていて、オランダの風景とそっくりです。ネリス・オランダ村は1952年に開業し、ネリス家の人々が販売するチューリップの球根と土産品の直売所として営業していました。観光地として大変人気を博し、そこから発展していったということです。ネリス家は1910年にミシガンに移住してきて以来、ずっと家業を営んでいます。本当にこの場所の歴史は興味深いものです。午後5時に本日最後のクロンペン・ダンスのパフォーマンスが始まると、私はさらに驚いてしまいました。実際にクロンペン・ダンスを見るのは今回が初めてでしたが、私が知っている通りだったのです(グーグルでクロンペン・ダンス(klompendans)と検索しても、あまり多くの情報がでてこないぐらいですよ)。ぜひビデオでご覧になってみてください。ダンスはテーマパークで働く地元の高校生たちが披露してくれました。
テーマパークを離れる前に、オランダ語を話すアメリカ人を見つけることができました。来月で65才になるアイクは体の大きなご老人で、木靴工房で民族衣装を着て座っていました。最初はあまり話したくなさそうな雰囲気でしたが、少しだけ粘り強く頑張ってみたら心を開いてくれました。彼は流暢なオランダ語で、4才の時にアメリカに移住して以来ずっとここに住んでいると話してくれました。興味深いことに、彼の話すオランダ語はとても強い田舎訛りがありました。なんて不思議なんでしょう! 彼の家族はオランダの北部出身で、彼は一度だけアムステルダムに行ったことがあるそうです。オランダのルーツについて質問すると、アイクはオランダ文化を少し見下すような返事をして、オランダに戻るつもりは一切ないと断言しました。「行ってどうするんだい? 朝にパンとチーズを食べて、10時にビスケット1枚と一緒にコーヒーを頂いて、正午に温かい昼食を取れとでもいうのかい?」と言って彼は笑いました。面白いことに、本国オランダに住むオランダ人たちも、オランダ文化とはまさにそのようなものだという反応を示すものです。彼に自分を何人だと考えているか訊くと、「僕はアメリカ人だよ!」と答えました。でも私に言わせれば、アイクは彼が思っている以上によりオランダ人かもしれません。この旅を通じて、ミシガン州ホランドではオランダ文化がたしかに息づいていると感じました。いくつかの地域においては、オランダ本国よりも顕著かもしれません。なにより驚いたのは、(私の知る限りにおいて)伝統の原型が忠実かつ完璧に再現されているということです。オランダに行ったことがなく言葉も話せなければ、オランダ人としてのルーツを実感するのはかなり難しいとは思いますが、ここでは伝統的なオランダの文化が尊重されています(他の文化と一緒に!)。でもこれは、アメリカだから可能なのかもしれません。アメリカ人は誇り高く、愛国心の強い人々として知られているので、仮にそれが主流の文化でないとしても、独自の文化を大切にし、誇らしげに表現する精神が発揮されるのだと思います。その一方、オランダ人は自己顕示欲の低い控えめな気質で知られ、誇示するというよりは、アイクのようにオランダ文化に対して肩をすくめ、見くびる態度を取る人が多いような気がします。もうひとつとても意外だったのは、オランダ文化はこの街と住民のアイデンティティにとって大切な要素であるのに対して、オランダ語はそうではないということです。これもやはりアメリカだからかもしれません。オランダでは他の言語を学ぶのはあたりまえで、少なくも英語、ドイツ語そしてフランス語を学校で学び、言語も文化の大切な一部と考えられています。しかしアメリカでは英語が公用語で世界でも広く話されているため、言語の重要性に関しては違った考え方を持っているのかもしれません。たしかにアメリカでオランダ語を勉強しても、あまり役に立たないとは思います。人々は移住するとき、自分たちの文化も一緒に持っていきます。その文化が生き続けるのか、変わっていくのか、あるいは死に絶えるのかは環境とその人々にかかっているのです。ミシガン州ホランドでは生粋のオランダを体験することは十分可能だと思います(言語は別として)。でも100年後にどうなっているかなんて誰にも分からないですよね。今回この記事で、ホランドのユニークな歴史を探求することができてよかったと思います。いろいろ考えさせられるでしょう? 世界各国における日本文化はどうでしょうか? ※1 http://factfinder.census.gov/faces/tableservices/jsf/pages/productview.xhtml?pid=ACS_13_5YR_B04006&prodType=table
特派員
- マルタ・ ヒッキー
- 職業教師、イラストレーター
アムステルダムで生まれ育ち、研究のため日本に2年半住んだことがあります。オランダ―日本間の文化的なつながりやコミュニケーションにとても興味があります。その他、自転車に乗ることや、教師やイラストレーターとしての仕事、友達と新しいカフェに行ったりすることを楽しんでいます。2014年にライデン大学を卒業し(アジア/日本研究修士)、現在は日本人向けのオランダ語学習教材を作っています。この学習教材では両国間の文化的な違いも紹介しています。
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