静寂の1分間|パトリツィア・ マルゲリータ|ナレッジワールドネットワーク|アクティビティ|ナレッジキャピタル

  • 2017.10.26
  • 静寂の1分間
ジェノヴァから電車で1時間ほどの距離にあるサボナは、リグーリア地方で2番目に大きな街です。 サボナ名物として挙げられるのは、ホワイト・ファリナータと呼ばれるモチモチした食感が特徴の平たい小麦パン、プリアマール要塞、そして街の中心地にある「戦没者の広場」ことマメーリ広場です。


“la Campana dei Caduti”は戦没者の鐘


とりたてて美しいというほどでもないのに、この広場のことはイタリア人なら誰でも知っています。その理由は、広場の中央に設置された大きなブロンズの鐘が物語ってくれる長い歴史にあります。鐘の下の台座には次のような言葉が刻まれています。「イタリアの栄光に命を捧げた人々の尊き声。彼らの知恵、努力、犠牲によって輝かしい未来が約束された。

人通りの多い交差点にあるため、この広場周辺は日中とても賑やか。多くの会社やバスの停留所、タクシー乗り場、駐車場などがひしめき合うエリアなのですが、それが夕方6時になると一斉に静まり返ります。大きな花壇の真ん中にあるブロンズ製の大きな鐘が、スイス製の時計のような正確さで毎晩6時を告げる1分間は、歩行者も車もその場で静止するのです。人々がこのルールを守るよう、交通巡査たちが道路の見張りに立ちます(いくら急いでいようがよそから来た人間であろうが、いかなる事情もこの伝統の前には無効とされます!)。
それにしても、こんな往来の多い場所のラッシュアワーに、どうしてわざわざ人や車をストップさせるのでしょうか?その理由は、単純にして特異なものです。サボナのマメーリ広場にあるブロンズの鐘は、戦没者を追悼して建てられた記念碑なのです。6時を告げる最初の音が鳴り始めてからの1分間は、歩行者も自転車も車もバイクもその場に立ち止まり、戦禍の犠牲者たちに哀悼の念を捧げます。チャイムが鳴る回数がイタリアのアルファベットの文字数と同じ21なのは、戦争で亡くなったサボナ市民全員のイニシャルが含まれていることを意味します。


毎夕6時に歩行者も車両も立ち止まる

かれこれ80年も続いているこの「儀式」に立ち会うことは、初めてサボナを訪れる人にとってはたいへん感動的な体験になるはずです。戦争の犠牲になった兵士や市民を追悼するために、ほんのわずかな時間とは言え人々が日常生活の流れを一斉に中断する情景には、見る者の胸を打つ力があるからです。
この「イベント」の背景を知らない人がその場に居合わせたなら、いわゆるフラッシュモブの企画に巻き込まれたと思うか、あるいは時間そのものが止まってしまったのかと驚くでしょう。
数年前にこの慣習の廃止に関する住民投票が行なわれましたが、道路状況としては一日の中で最も混雑が激しい時間帯であるため、すでに多くの問題を抱えているにも関わらず、この伝統を維持する方により多くの票が集まりました。
戦死者に捧げられるこの静寂の1分間、通行が許されるのは救急車と緊急車両のみ。違反者は交通巡査に取り締まられることになります。
赤ちゃんの泣き声と興奮した犬の声を除けば「妨害」するものもなく、1分もの間を凍り付いたように静止する人々によって非日常的な空間と化した広場は、それはそれは不思議な眺めです。
この広場はマメーリに捧げられています。重要な広場にマメーリの名を冠したのは、決して偶然の一致ではありません。
詩人で愛国主義者でもあったゴッフレード・マメーリは、1827年にジェノヴァで生まれました。ジェノヴァ大学で学んだのち、1847年11月、イタリア国歌となる「マメーリの賛歌(後に『イタリアの同胞』に改題)
を書いています。
1946年にはこれが正式なイタリアの国歌とされました。
ジェノヴァでガリバルディと出会ったマメーリは、彼に付いてローマに入り、戦争で片足を失います。持ち前の勇敢さと国家への忠誠心で名を馳せた彼が詠んだ詩は、イタリアという国の象徴として後世に伝えられて来たのです。

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 年齢申( さる )
  • 性別女性
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが自らの意思で「多文化人」となり、5ヶ国語が話せます。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界人だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで58カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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