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  • 2024.10.09
  • ブログ リグーリア‐かつての夏
前回まで2回にわたり、リグーリア地方やイタリアの夏についてご紹介してきました。
夏はのんびり過ごしたり、おもいっきり楽しんだり、さらにはイベントが目白押しの陽気な季節なのですが、ここ数年、あるいは数十年の間に変わってしまったこともあります。今回は私が育った1980年代の夏はどんなものだったかをお伝えしたいと思います。

6月半ばに学校の年度が終わるとすぐ、私はクラスメイトと一緒に街の噴水で水浴びをしながら「自由」の訪れを祝福し、公園の噴水式水飲み場で満タンにした水風船を互いに投げつけ合ったものです。
今でも噴水の中で水を浴びる観光客の姿を見かけることはありますが、この行為は禁止されています。また、稼働している噴水式水飲み場を見かけることもほとんどなくなりました。
私が子どもの頃は、夏は海辺で過ごすのが常でした。両親の運転で海まで行くと、日が落ちるまで親から離れて泳いだり、ほかの子どもたちと遊んだり、浜辺に沿って歩いたりしました。
今では親御さんは常に子どもから目を離しません。時代は変わり、昔以上に危険なことが増えたせいなのか、ただ親が注意深くなっただけなのか、理由はわかりませんが。
私の家族は毎年同じ海辺の小屋に行き、毎年同じ椅子を同じ場所に並べていました。ですから私たちの「ご近所」にビーチパラソルを立てている人たちとも顔見知りで、お互いの家族に新しいメンバーが加わったなんていう情報も把握していました。
ライフガードも毎年同じ人たちでしたし、当時のライフガードはプロとしてのちゃんとした職業でした。
今では人々の出入りも流動的になり、誰もがより手頃な価格のリゾートを探して毎年行き先をコロコロ変えています。
ライフガードも毎年入れ替わるし、安い賃金で働いて夏を過ごしたい人はいないので、ライフガードを確保するのもだんだん難しくなっています。
当時はビーチバレーをしたり、プロムナードでケンケン遊びをしたり、海辺でバドミントンをしたり、巨大な水風船を投げ合って遊んだりしていました。そのほかにも、凧揚げやガラスやプラスチックのビー玉遊びや、仲間の中で一番小さい子どもの足を砂の上で引きずり、誰が一番長い跡を作れるかを競う大会を開いたりもしていました。
現在では、他のお客さんの迷惑にならないように、これらの遊びは禁止されていますし、今の子どもたちはもうケンケン遊びや凧揚げ、ビー玉で遊ぶこともなくなりました。
私が小さかった頃はビーチパラソルの下でディズニーなどのコミックを読み、親は読書やクロスワードパズルに興じていたものでした。
現在では、子どもも大人もほとんどの人がパラソルの下でくつろいだりスマホを眺めたりしています。
80年代には、母が作ってくれたライスサラダやサンドイッチをビーチで食べたのを思い出します。
カフェでオーダーしたレモンやピーチのアイスティ、価格がイタリアの旧通貨単位・リラで書かれたエルドラド(Eldorado、現在のアルジダ(Algida)社)のアイスクリーム、そして売り子が「熱々のボンボローニ!!(Bomboloni)」と言いながらビーチを売り歩く、揚げたてのドーナツも忘れられない味です。


ビーチで売られている熱いボンボローニ

今や、リゾート地のビーチに食べ物を持ち込む行為は少なくとも白い目で見られますし、禁止ギリギリになっているので、カフェで高価な食べ物を買わなくてはいけません。また、免許制度のせいでしょうか、今では浜辺で食べ物を売る人たちの姿も見かけなくなりました。
昼食を食べたあとはとても小さな手漕ぎ式の木造双胴船、モスコーネ(moscone)を借りたのを覚えています。私たちは、この船に乗って近くの入り江を訪れたり、クラゲを見たりしたものです。


モスコーネ

今では見栄えのいいプラスチック製のペダルボートを貸し出していますが、こちらはモスコーネとは全く別もの。モスコーネは、現在はライフガードのボートとして使われています。
8月というと、夜はテレビでホラー映画を観るのがお決まりでした。というのも、理由はわかりませんが、どこのチャンネルでも数多くのホラー映画を再放送していたからです。
現在は、オンデマンドや有料チャンネル、それにオンラインのテレビシリーズなど好きな番組をいつでもどこでも視聴できるようになりました。
夏もそろそろ終わりかけているからか、はたまた息子が先日5歳を迎えて成長の早さを実感したからか、私は少し感傷的になっているのかも知れませんね。実のところは、私は80年代や過ぎた時代が恋しく、その頃の夏が今よりも美しく感じられています。あの頃はまだ若くて、何の気苦労もなかったからなのかも知れませんが。

特派員

  • パトリツィア・ マルゲリータ
  • 年齢申( さる )
  • 性別女性
  • 職業翻訳、通訳、教師

生まれはイタリアですが、5ヶ国語が話せる「多文化人」です。米国、ブラジル、オーストラリア、フランス、イギリスで暮らし、仕事をした経験があります。イタリアと米国の国籍を持っていますが、私自身は世界市民だと思っています。教師や翻訳の仕事をしていない時は、イタリア料理を作ったり、ハイキングをしたり、世界各地を旅行したり…これまで80カ国を旅しましたが、その数は今も増え続けています!

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