実家にいらっしゃる父の訪問医によると、未だ医療機関はシビアな感じらしい。
前回も触れたが、日本はコロナ感染者を非難しがち? だからこそ、感染した事を伏せたり、積極的に検査しなかったりするのではないか。 そもそも、きちんと感染が発覚した友人から「濃厚接触」としての連絡を受けても、感染したかどうかの確認が容易にできず。
結果、症状がなくても感染した可能性を調べるため、「(コロナ)かもしれない」人が病院に殺到し、救うべき命が失われているのは残念な事だ。
しかし、なんとまあ、いつまでこの中途半端な状況を続けるのだろうか。
基本、国民はメディアに振り回されすぎだと思う。メディアもコロナニュースやりすぎ?!
元はと言えば日本人は、「気」を理解する人々で、霊的な感覚というか、感性が研ぎ澄まされた種であると考えていた。それがメディアに流され、周りを気にしてマス側に加わり、目の前の情報を鵜呑みにしすぎなのでは。
肌で感じたり、直感を信じたり、虫の知らせというのは、いつどこで失ってしまったのだろう。
今ちまたでは、コロナを気にする派、しない派に二極化している。
常識的な人であれば、自分が感染したとして、そのウイルスをばらまきたいとは思わないので、「気にしない派」というのは誤った使い方だが、言わば「コロナを恐れているか否か」「自由を奪われたいか否か」を差し障りない言い方に変えての事だろう。
無論、白黒分ける事自体が馬鹿げているが、それはコロナに関し、曖昧な対策や情報、さらに付け加えれば甘えを生み出した社会に責任があると思う。
例えばポルトガルでは、スーパーやどんな薬局でも抗原簡易キットが安価で手に入った。一時期は、薬局で一人月4回、検査を無料で受けられるという政策ができた。(抗原キットの結果が完璧でないのは別に)1週間に1回ずつサービスを受けるとして、感染の早期発見が可能だ。
マスクの着用義務がなくなったからと言って、マスクをしてはいけない訳ではなく、ワクチンを接種するかどうかは本人の判断に委ねる。マスクをしていない人をみると不安になる人がいる時は、マスクをするし、挨拶のキスに違和感がある人とはハイタッチで済ませれば良い。第一、コロナに限らず体調が悪い時は、外出を控えるのが当たり前だろう。
大事なのは、どんな状況であっても自分の事をよく理解し、責任を持つ事なんだと思う。一人でも責任ある行動ができる人が増えて行けば、自然と人々の不安も軽くなるのではないか。
話は変わるが、今回の日本滞在で、ものすごく得したことがある。
それは、このコロナ騒動で外出を控える人が増え、東京は観光天国であったこと。
ディズニーランドに行った際は、「奇跡の日」と関係者がいうほど、子供達はスペースマウンテンに9回も乗れ、他のアトラクションでも長蛇の列に並ばずに済んだ。
東京クルーズ リラックス
浅草の仲見世通りは、雷門から奥の浅草寺まで道が一本に見える状態だったし、そこからお台場まで移動した水上バスもガラガラでソファに寝転べるほど。
通常2時間ほどかかる展覧会などもほぼ貸し切り状態で30分ほどで回れたり、原宿の竹下通りは寂しく見えた。
旅の時間配分に大幅なズレが生じたものの、人混みのない東京をのびのびと散策できたのは、コロナに感謝である。
展示 貸切状態
ハチ公 永遠に側に居られる