(マデイラ島上空。地面に映る、自分が乗っている航空機の影を撮っていたら、虹が。)
以前も説明したが、クリスティアーノ・ロナウド・マデイラ国際空港とは、マデイラのフンシャルにある国際空港のことを言う。
この空港、着陸が非常に危険で、世界の最も過酷な空港ランキングに必ず入っています。まず地理的条件があげられます。マデイラ島には平地がほとんどないため、空港が海に突き出た部分に位置しています。滑走路の片側は山、その反対側と滑走路の始まりと終わりは崖になっており、下は海です。このように台地や丘の上にあり、片方または両方の端が深い峡谷に落ちる急な断崖に隣接している滑走路を「テーブルトップ滑走路」というらしいのですが、このタイプの滑走路では、下にある平野(マデイラ島の場合は、海だが)と同じ高さにあるという視覚的な錯覚を起こすので、計器着陸を使用しないビジュアルアプローチ(視認進入)が必要になります。さらに、風が非常に強いため、機体があおられ、着陸時のバランスを保つのが非常に困難になります。こうしたことから、マデイラ島の空港に着陸するには、パイロットは追加訓練を受ける必要があります。
しかし、この空港は以前はもっとひどいものでした。
1964年に開港した際、わずか1600メートルの短い滑走路が2本あるだけでした。山と海に囲まれているため、最も経験豊富なパイロットにとっても着陸は難しく、技術的な要求が厳しかったため、当時は「ヨーロッパの啓徳空港(香港の旧空港)」というニックネームが付けられていました。
そして、とうとう1977年にTAPポルトガル航空が墜落し、搭乗していた164人のうち131人が死亡するという、最悪な航空事故を起こします。その事故から数年後、マデイラ島への観光客が増えた理由もあるのですが、1986年に滑走路は200メートル延長され、合計1800メートルとなります。2000年には、観光需要が高まり続けたため、滑走路はさらに延長され、現在の2781メートルになりました。
延長された滑走路の一部は埋立てではなく、海上にあるプラットフォーム上に建設され、約70メートルの高さの180本の柱で支えられています。地形の関係で、この工事は達成が最も困難なものの1つとして世界中で認識されており、フンシャルは、その改新的な解決策により、2004年にInternational Association for Bridge and Structural Engineering(国際橋梁構造工学協会…革新的、創造的、その他の刺激的な構造を表彰することを目的にしてる)からOutstanding Structures Award(優秀構造賞)を受賞しました。
(マデイラ島の国際空港の滑走路一部は、何本もの柱で支えられる、海上プラットフォームの上にある。)
こうしてマデイラ島の国際空港の滑走路の長さは、開港当時のほぼ2倍ほどの長さになり、現在では大型航空機も着陸できるようになった。
しかし、天候の悪い日には、フライトがキャンセルされたり、上空を迂回することになったり、着陸寸前にバランスを崩し着陸をやり直したりすることが多々ある。
https://www.youtube.com/watch?v=_JZkEBF8g3M&t=2s
(2024年3月。乗客はいなかったとは言っても、恐ろしい。)
この夏、アソーレス航空は、マデイラ島のフンシャルと、カナダのトロントと米国のボストンを結ぶ新便を就航させました。
マデイラ島は、ウィンストン・チャーチルも長期滞在していたなど、英国の強い存在のおかげか、マデイラ人の英語はブリティッシュ訛りが濃いのですが、最近はどんどんアメリカン訛りを耳にするようになったのは、米国との直行便が増えた影響なのかもしれません。
easyJet は、この冬からマデイラ島のフンシャルとオランダのアムステルダムを結ぶ新路線を開設すると発表しました。
マデイラ島が外国人で溢れかえるのは寂しいけれど、またさらに増え続ける観光客のためにもリスクのない空港にしてもらいたい。