この多文化主義の実現を目指し、実践的な政策によって見事な成果を出した国と言えば、何といってもカナダでしょう。
カナダにおける移民人口の比率は、世界でもトップクラスの高さです。去年の一年だけでも膨大な数の移住者が海を渡り、北米大陸のこの広い国にやって来ました。とは言え、3000万を超える全人口の30%以上が他国の出身であったり多様な民族的背景を持っていたりするカナダでは、移民は国家を構成する主要な基盤の一つなのです。
最初のカナダ移民といえば、スコットランドやアイルランド、ドイツ、イタリア、中国、ウクライナからの移住者が大半でした。実は、19世紀初めのカナダの大量移民の先陣を切ったのは、ヨーロッパ系と中国系が多かったのです。第2次世界大戦以降に北米大陸に移住したインドや南米、フィリピン系の人々は、現在のカナダ人口の5%を占めています。
「ザ・ファーストネーション」ことネイティブアメリカンの国内分布は地理的に不均等であるため、先住民族の状況は移民とは異なりますが、彼らは自分たちの慣習を変えずに居住できる地域に住む傾向が見られます。
エスキモーの呼び名でも知られるイヌイットは、カナダ西側の北方の準州を中心に、ケベック州やテラノーバ州でも生活しています。先住民族の共同体の経済と社会活動の財源を確保するために、1950年代終盤にイヌイット生活協同組合が設立されています。メティス(「混血」を意味するスペイン語の“メスティーゾ”の略)は、カナダ憲法典によってようやく公認された先住民族です。メティスの祖国は、ブリティッシュコロンビア、アルバータ、サスカチュワン、マニトバ、オンタリオのカナダ各州、ノースウェスト準州(イヌイットと共有)とされています。
イヌイットによるアート作品
このような民族構成が、カナダ社会の根幹となる多文化主義と寛容性を生み出したのですね。カナダの多文化主義政策は、多文化主義法(Multiculturalism Act of 1988)によって方向づけられたもの。カナダの多文化主義法は、1960年代から続いていた二言語併用、二文化併存をめぐる議論によって生まれた法律です。カナダ在住のフランス語話者と英語話者の間では、今もなおこのテーマに関する論争が活発に行われています。60年代から続く先住民族の問題は、今日に至っても解決済みとは言えません。多文化主義への政治的な最初の一歩は、1970年代、カナダ多文化主義政策(Multiculturalism Policy of Canada)を採択し、世界史上初となる多文化主義政策を宣言したことでした。1980年代、多文化主義政策の採用を確約したカナダ人権憲章(Canadian Charter of Rights and Freedom)が、この流れをさらに加速させました。
本当のことを言えば、もはや私たちが国家というイデオロギーに自己を縛り付ける時代ではありません。今後ますます、自分たちのアイデンティティを形成するいくつもの要因の相対性とダイナミズムをきちんと認識する必要が出てきます。異なる価値体系が共存する限り、あらゆる社会は多文化主義であることも、また理解しておかなければなりません。単なる共生ではなく、異なる文化同士が相互に作用して(interact)高め合うという意味合いから、「多文化主義 (multiculturalism)」よりも「異文化主義 (interculturalism)」の概念を好む学者がいるのも事実です。また、消極的な受容といったニュアンスが感じられる点がカナダ的ではないとして、「寛容」という表現もカナダでは影をひそめつつあります。多文化主義を祝うイベントは常に行われているし、チャイニーズ・ニューイヤー(中国の旧正月)やメキシコのディア・デ・ロス・ムエルトス(Día de Muertos=「死者の日」)のように、カナダの伝統的な祝祭ではないけれどカナダ文化の一部となったものも少なくありません。
カナダでもお祭りとして定着したチャイニーズ・ニューイヤーと「死者の日」