どの地方にも特有の伝統的な音楽があります。ケープ・ブレトン島のケルト風のリズムから、ケベックとオンタリオ東部のアイリッシュ、スコティッシュそしてフレンチ・バイオリン、さらにはイヌイットの喉歌まで。
ケベック生まれのアクロバットサーカス、シルク・ドゥ・ソレイユのショーは、伝統的な音楽とサーカス・ナンバー、そして演劇とダンスがすばらしく混じり合っていて世界中の人々を虜にしました。
カナディアン・ジャズ
このジャンルの音楽が頭角を現してきたころ、ケベックのジャズクラブは深夜まで開いていました。1950年代の危機的な時期が過ぎた後、ジャズは聴き手を再発見することになります。70年代の終わりに始まったモントリオール国際ジャズフェスティバルと、10代の若さでデビューを果たした非凡なるミュージシャン、オスカー・ピーターソンの名声は国境を越えました。カナダのジャズ界は、トランペッターのファーガソンやレンジャー、それにクラシック・ジャズ・アーティストのジェームズ・ギャロウェイなどの才能あるミュージシャンを輩出しています。
クラシック音楽
カナダ初のコンサートホールが1700年にケベックでオープンし、1840年代と1850年代には、歌手リンドをはじめとする音楽家がクラシック音楽を国中に広めるためにツアーを行いました。そうして現在のフィルハーモニー交響楽団の前身となる、地元に根ざした音楽団が国中に作られたのです。二つの大戦の間に、歌手やバイオリニスト、ピアニストなどの音楽家たちは大きな成功をおさめるようになりました。指揮者のペルティエは多くの作曲家たちのために道を切り開き、ピアニストのグールドは長年にわたってコンサート活動を行った後、もっぱらスタジオレコーディングに専念するようになりました。
モントリオール、トロント、そしてケベックの交響楽団は世界的名声を獲得して、また今ではあちこちの都市の劇場がオペラを上演し、世界中からやって来る多くの高名な著名人たちを迎え入れています。
オペラカンパニーも国のあちこちにあります。トロントのカナディアン・オペラ・カンパニー、ケベック・オペラ、モントリオール ・オペラ、そしてバンクーバー、カルガリー、エドモントンにも。
オペラ・ライラ・カンパニーは、首都オタワを拠点にしています。
ポピュラー・ミュージック
ポピュラー・ミュージックは、まず入植者たちの間で発展しました。彼らは音楽を通じて日々の暮らしとその中での希望や葛藤を伝えたのです。名だたる作詞家や作曲家の中でも特筆すべきは、ロジャーズとゴードン。『カナダ鉄道三部作』はまさにカナディアンポップスの定番です。
他にもフォーク・ジャズシンガーのジョニ・ミッチェルやケルト音楽の歌手ロリーナ・マッケニットも有名です。
カナダの国歌 『オー・カナダ』 を作ったのは二人のフランス系カナダ人、作詞家のアドルフ=バジル・ルーチェと作曲家のカリサ・ラヴァレーでした。
ここ数十年で、カナダのミュージックシーンは、アメリカの文化に多大な影響を受けたレコード業界と大規模なショーのおかげで、新たな局面を迎えました。
1970年代のはじめには、「Guess Who's an American Woman」がベトナム反戦運動のシンボル・ソングになり、カナダ人のシルヴァン・ルリエーブルは、今ではカナダでもっとも有名なシンガーソングライターの一人とみなされています。 続いて1980年から90年にかけて、ファビエンヌ・ティボー、ダイアン・テル、そしてセリーヌ・ディオンをはじめとする国外でも高く評価される歌手たちが現れました。
イヌイットの音楽
カタジュジャクと呼ばれるのは、北極や北アメリカの北極に近い沿岸地帯に住むエスキモー系の民族イヌイット特有の独特な歌唱法です。
伝統的なスタイルでは、イヌイットの女性二人が向かい合って歌い、言ってみればデュエット歌合戦をするのです。高音の喉声で歌い、その周りを同じ民族の人々が取り囲んで二人の歌合戦を聴き、ときには伝統的な民族楽器で伴奏を入れたりします。
雁や他の動物の声や、水や風などの自然の音をまねることもあります。この「歌合戦」は、二人の歌い手のうちのどちらかが息切れを起こしたり、声がつかえたり、笑ってしまったりしたところで勝負がついて、相手方が勝ちとなります。デュエット歌合戦はまた別の女性との間で続けられ、何回も歌合戦を勝ち抜いた人が最終勝者となるのです。
もとはといえば、イヌイットの女性たちは、男たちが狩りに出かけている間にカタジュジャクをしたのですが、今ではこの歌唱ゲームは家族の宴会や宗教的行事の際に行われています。
- 2019.06.03
- カナダの音楽ライフは多種多彩で独創的