アメリカとカナダの国境に位置するこの湖は、より具体的にいうと、北、東、南をオンタリオ湖に、西をミシガン湖に隣接しています。
湖の名前「ヒューロン」は先住民であるヒューロン族に由来していて、数少ない彼らの子孫たちは現在ケベック州に暮らしています。
ヒューロン湖には、カナダ領にあるジョージア湾とミシガン州に属するサギノー湾の2つの入り江があります。
スペリオル湖から水を運ぶセントメリーズ川と、ヒューロン湖とミシガン湖を結ぶマキナック海峡も支流に含まれます。
そして湖の水はセントクレア川、セントクレア湖、デトロイト川を経てエリー湖へと流れ込みます。
ヒューロン湖には、湖に浮かぶ世界最大の島、マニトゥーリンがあります。この島はカナダ・オンタリオ州の領地で、他にも小さな島がたくさんあります。
17世紀、フランス人がヨーロッパ人として初めてヒューロン湖にたどり着きました。同世紀後半にはフランスイエズス会の修道士が移り住み、ジョージア湾に最初の居留地となる「サントマリー・アマング・ザ・ヒューロン(Sainte-Marie-dans-les-Hurons)」を建設しました。
この湖では活発に商業活動が行われていて、普段はスペリオル湖からエリー湖に鉄を運搬する「レイカー」という細長い楕円形の船が運航しています。
12月から4月中旬までの期間は、氷が張って運航できなくなるので全ての便が取りやめとなります。
他の五大湖の湖と同様に、過去1世紀の間にヒューロン湖には大きな変化が起きました。もともと、レイクトラウトを中心とした在来種が群れを成していたのですが、数種類の外来種が持ち込まれたことと乱獲により、過去1世紀でレイクトラウトが絶滅してしまったのです。
その後、絶滅してしまった種を復活させようと、再びレイクトラウトを湖に放つ試みがなされたのですが、失敗に終わりました。
近年、まさに新しい外来種が絶え間なく持ち込まれることが原因で、ヒューロン湖の在来種の存続が危ぶまれる状況が続いています。
この湖は、湖底に沈没船が1,000隻以上もあることでも知られているのですが、五大湖を運航した最初のヨーロッパ船と推定される船もその一つです。
私と友人は、ヒューロン湖で短い休暇を楽しむため、オンタリオ州のパリーサウンドへと車で向かいました。
地図を持っていなかったし、旅をより冒険に満ちたものにしたかったのでナビゲーションシステムは使わないことにしたのですが、道路は雄大で、道路には並木が続き、あたり一面湖と山に囲まれていました。
さらには、たくさんのイヌクシュクも見ることができました。
「人の機能をするもの」という意味のイヌクシュクは、先住民族が自分たちの通り道がわかるようにと作った、雪だるまのような形に積み上げられた小さな石のモニュメントです。
この伝統の起源は非常に古いのですが、先住民族たちはずっとこの地に暮らしてきたことを表すために、現在でもイヌクシュクを作り続けています。
その週に必要なものを買おうと小さな村に立ち寄ったところ、壮大なヒューロン湖を眺めることができました。
次に、私たちは州立公園を訪れることにしました。長い道のりを歩くことになりますが、それでも湖添いの散策は素敵なものでした。湖は美しく、それだけでも長い道のりを歩いたかいがありました。
遊歩道からは、夕暮れ時には湖岸に野生のガンがたくさん集まってくるのが見えましたし、夜は湖畔でキャンプをしてぐっすり眠りました。
それから、湾に添ってドライブすることにしました。森や湖、先住民居住区を抜けて走るのは、とても素晴らしいものでした。
ある原住民居住区に立ち寄り、休憩をとりました。こちらには工芸品店と、ティピと呼ばれる、焚き火と生命の輪を象徴する円錐形のテントの形に作られた可愛らしい教会がありました。
植民地時代にネイティブ・アメリカンの伝統とカトリックの信仰が融合したものですね。