- 2015.05.20
- カフェ文化
「コーヒーを楽しむ会(Coffee and Conversation)」といえば、アメリカでは昔から人々が交流し、コミュニティを作る会合を意味してきました。コーヒーはメタファーです。「今度コーヒーでも飲みましょう」と言われたら、実際にコーヒーを飲むことを意味しているのではなく、「気軽に会ってお話しましょう」という意味です。コーヒーは飲んでも飲まなくてもかまいません。お茶やフルーツジュースを飲むこともあれば、ランチを食べることさえあります。 平日はほとんどのカフェが、コミュニティのたまり場に賑わいを求めるコンピュータ・ユーザーでいっぱいになります。アメリカでは賃貸料の高い都心のオフィスを避けて、ホーム・オフィスを構える人が増え、家での孤独を和らげるためにカフェにやってきて仕事をするのです。また、多くの人にとってあまりにも孤独であることは決してよいことではありません。仕事のエネルギーが途切れないようにするには、周囲で働く人々のエネルギーが必要です。穏やかな会話によって作家は行き詰まりを克服し、アーティストはその創造力を刺激されます。カフェの常連の中には、かつては毎日オフィスで働いていた人達もいます。会社の休憩室でコーヒーを飲んだり、デスクでコーヒーカップを片手に忙しく働いていた人達です。オフィスでは、いまでもそのような光景は見られますが、社員の仕事の多くを家で働く「フリーランサー」が担うようになりました。また、ネットワークで接続された現在の世界では、社員も在宅勤務を選べるようになり、会議や特別なイベントのときだけオフィスに顔を出す人もいます。それでも、一日中1人でいたいと思う人はほとんどいません。 コミュニティは人々の交流のあり方によって決まります。みなさんご存知とは思いますが、コミュニティに住む人々の心を満たしてくれるのは心地よい空間、そして暖かいコーヒーや紅茶に勝るものはありません。お気に入りのスナック菓子をいくつか持って、ホーム・オフィスの孤独と日常の雑用から逃避するため、人々は近くのカフェに行きます。コーヒーを飲みに来たとは言いますが、コーヒーのある場所には会話と交流があります。コーヒーを飲むためにカフェにやって来て、交流のためにカフェに座っているのです。 ほとんどの人がノート・パソコンを携えてカフェに向かいますが、会話のためだけにカフェに行く人もいます。見知らぬ人や近所の人と相席になり、世界情勢やそれに付き物の政治について議論する機会を心待ちにしているのです。 私の家の近くには、さまざまな選択肢があります。「イースト・ロック・カフェ(East Rock Cafe)」は、最初のオーナーであるルルが会話のためだけに小さなテーブルを寄せて並べることにこだわっていましたが、いまでもその伝統を守っています。その小さなカフェには、ニューヨーク・タイムズ紙が置いてあり、客がやって来ると、誰か座っているテーブルに行って会話をするように勧められます。住民の入れ替わりが激しいこの町では、カフェの小さな空間でモーニング・コーヒー(または紅茶)を飲みながら即席の交流が次々と生まれます。 近くには、大きなテーブルと無線LANを備え、仕事場としては理想的な「コーヒー・ペダラー(Coffee Pedaler)」もあります。「ペダラー」は、自転車をこぐペダル(pedal)と行商人や売人などの意味を持つ「ペドラー(peddler)」を組み合わせたダジャレです。淹れたての味わい深いコーヒーとできたてのサンドウィッチに誘われて、人々はここで何時間も過ごし、物思いにふけったり交流を楽しんだりします。 町の向こうの大きな家や広々としたスペースの集まった場所にある「マンハレス(Manjares)」はリビングルームを意識した造りになっています。店内は2つの部屋に分かれ、1つ目の部屋には小さなテーブルが並べられ、食事をしたり、コンピュータで仕事をすることもできます。2つ目の部屋にはソファがいくつか置かれ、コーヒー・バーもあり、思い思いの目的で、思い思いに座ることができます。真剣に仕事をする人は、静かに食事を楽しんでいる家族の隣に座ります。ちょうど大きな家のように、誰もが自分にふさわしい場所でコミュニティの心地よさを楽しむことができます。 ニューヘブンのカフェは、オーナーとスタッフの人柄に支えられています。 彼らは心地よさというものをよく心得ていて、ちょっとした会話でもてなし、決して長く話すことを押し付けたりしません。たいていは料理の腕もよく、ペストリーやコーヒーのブランドのチョイスも長けていて、いつも最高の味を提供してくれます。そして何よりも、もう1つの我が家として、ゆったりと何時間も過ごすことのできる「リビングルーム」をコミュニティに提供してくれます。いまはカフェの店内で過ごす季節です。1か月もすれば、オープン・カフェになって、店は町の歩道にまで広がります。カフェは春と夏を謳歌する人々の笑顔で活気づくことでしょう。いまのところはまだ、カフェまで歩いて行ければ十分です。店内のテーブルがいろいろな意味で温かく迎えてくれますから。