• 2015.06.19
  • 多文化カーニバル
5月25日(月曜日)はフィンクステンという祝日でした。これはイースターから50日目、キリスト昇天から10日目に聖霊が降臨した日を祝うものです。この長めの週末に、ベルリンではカーネバル・デア・クルトューレン(複数文化のカーニバル、以下“文化カーニバル”)というお祭りがありました。

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文化カーニバルの歴史は浅く、96年に始まったものです。東西分断の古びた資料映像などを見ていると忘れがちですが、東西ドイツ統一はそれ程昔の事ではありません。89年に入っても、西ベルリンへの越境を試み射殺された若者がいました。新生ベルリンの建設、外国人の急増など、統一に伴う90年代の、複雑且つ劇的な変化は、新しいナショナリズムの台頭を齎しました。これに対抗して、文化の多様性の理解を促進するため、ベルリン市が助成したプロジェクトの一つが、文化カーニバルです。

ベルリンに居住登録している外国人は、トルコ人が突出して多く、次にポーランド人、そしてイタリア人と続きます。60年代に推進された移民労働者政策の関係から、2世3世などのトルコ系ドイツ人も多く、トルコ・コミュニティーは特に発達しています。そういった住み易さから、親戚を頼って新たに来るトルコ人も少なくありません。一方、隣国ポーランドとの国境は、ベルリンからだと70km程しかありませんが、物価や賃金はドイツよりも安い為に、特にEUやシェンゲン協定への加盟を経て、労働者が多くいます。イタリア人は、ここ数年、若年層やアーティストの増加が目立ちます。

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このような出身国の割合構成を反映せず、文化カーニバルでは、本場ブラジルをはじめ、南米の存在感が圧倒的でした。国籍、種類や規模も様々な62団体が参加し、地下鉄4駅分の道のりを練り歩きました。手作り感あふれる装飾が施された軽トラックの荷台に、よく見ると参加者の手荷物を置いた、クラブ活動のようなグループもいれば、衣装も踊りも本格的、頭上の巨大な装飾にも笑顔がブレない、プロらしきチームもいました。荷台でバンドや太鼓を演奏するグループもありました。大きなスピーカーを積んだ軽トラックを先頭に、衣装を身につけた参加者が続き、その後ろには、気が向いた観客がパレードに参加していました。

ドイツ人は堅いイメージが強いと思いますが、お祭り事やレジャーでは割と本気を出します。オンとオフも手堅く切り替えるということかもしれません。あるいは、合理主義の代名詞のようなドイツ人ですから、合理的判断によって「同じ阿呆なら踊らなければ損である」という解を導き出しているのかもしれません。

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パレードは1日だけでしたが、終点近くの広場では4日間のお祭りがありました。ラテン、ベルリンバザール(バルカン・トルコ)、ファラフィーナ(汎アフリカ)、ユーラシアとざっくり4ステージに分けられ、素人からプロまで老若男女が様々な音楽を演奏する、小規模な野外フェスティバルのような感じです。他にも、アート、ストリートダンス、カポエイラ演武など、色々な催し物があり、食べ物から民族雑貨まで各種の露天も出ていて、大変な活気と混雑でした。


来訪者は4日間で150万人を超えたとのこと。ベルリンの人口が約346万人であると言えば、その盛り上がりぶりは伝わるでしょうか。

特派員

  • 渡辺 玲
  • 職業通訳、中華料理店店長代理

ベルリン自由大学の修士課程を卒業。専門分野は、映画理論、ドイツ新現象学、神経哲学。ベルリン在住13年目、住んでいると当たり前になってしまうベルリン生活を、皆さんへご紹介することで再発見していきたいと思っています。

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