ピカソと鳩|山田 進|ナレッジワールドネットワーク|アクティビティ|ナレッジキャピタル

  • 2016.03.01
  • ピカソと鳩
地中海の港町マラガの広場にあるカフェテラスで朝食を食べていた時、沢山の鳩達がやってきてテーブルにいた人達にパンをおねだりしていました。実はこの広場、このマラガ出身の天才芸術家ピカソが11歳になるまで住んでいた家のある場所、つまり彼の遊び場だったのです。名前はラ・メルセー広場、彼が3歳まで住んでいた生家は現在、ピカソ生家博物館となっています。また、その後引っ越した家も2軒隣の家で玄関脇には記念の板がはめ込まれています。

[caption id="attachment_1416" align="aligncenter" width="500"]003_160226_1写真1:実家の前、メルセー広場に集まるピカソ鳩の子孫たち[/caption]
80年以上の芸術活動で初期、中期、晩年まで頻繁に登場する題材の一つに『鳩』がありますが、その理由が分ったような気がしました。多感な幼少期を常に鳩に囲まれて過ごしたことでしょう。現在この広場を根城に活躍している鳩達はもしかすると120年前ピカソが少年時代にスケッチした鳩のDNAが連綿と繋がっているかもしれません。

[caption id="attachment_1416" align="aligncenter" width="500"]003_160226_2写真2:ピカソが9歳の時の鳩と闘牛のデッサン(バセロナ・ピカソ美術館)。ピカソの闘牛マニアも父親譲りです。家からほんの750mしかない闘牛場まで見物に通っていたとか。 [/caption]
ピカソの父親ホセ・ルイス・ブラスコは美術学校の講師で、市立美術館の学芸員でもありました。彼はライラックの花と鳩を好んで描いたそうです。ピカソ生家博物館にアトリエを再現した部屋があり、イーゼルには鳩小屋の絵が置かれています。ピカソの生まれる3年前の1878年に描いたという事ですから、幼いピカソもこの父の作品を見ていたはずですね。

[caption id="attachment_1416" align="aligncenter" width="400"]003_160226_3写真3:ピカソの父のアトリエhttp://fundacionpicasso.malaga.eu/ [/caption]
父の転勤でマラガを離れてからスペイン北部の港町ラ・コルーニャへ引っ越し、その後バルセロナやマドリードでも生活しましたが、芸術の都パリに移り住むことになります。それからも歴史的大作である『ゲルニカ』での瀕死の鳩や、世界平和会議のポスターの平和の象徴の鳩など政治的意味合いを含む作品をはじめ沢山のバリエーションで鳩を描き続けました。

[caption id="attachment_1416" align="aligncenter" width="400"]003_160226_4写真4:モスクワ世界平和大会の鳩のポスター[/caption]
時代を経て生まれ故郷のマラガに似た温暖な気候や好きな闘牛を開催している地中海に終の棲家を求め、南フランスで生涯を終えています。そこでは家に鳩小屋まで作ってしまい、鳩の連作を生み出しました。亡くなるまで鳩を描き続けた人です。

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写真5(左): 鳩小屋の連作の一つ(バセロナ・ピカソ美術館)
写真6(右): 肖像画にも鳩がいます。左の作品は、マラガのピカソ美術館にて展示中、この美術館も生家から230m歩いて5分です。右の男女と鳩は個人蔵。


ちなみピカソ68歳の時に出来た末っ子(正式には)の娘さんにはパロマ『鳩』と名付けています。世界的に有名なデザイナーですからご存じの方も多いでしょう。



特派員

  • 山田 進
  • 年齢寅( とら )
  • 性別男性
  • 職業スペイン語・日本語通訳

スペイン政府より滞在許可と労働許可を頂き、納税・社会保険料納付をはじめて早37年。そろそろシルバー人材センターへの登録も視野に入った今日この頃、長い間お世話になったこの国のことを皆様にご紹介できることを楽しみにしています。

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