さて、スペイン語(español・エスパニョール)はイベリア半島中央部に位置するカスティージャ地方で生まれ、別名カスティージャ語(castellano・カステジャーノ)とも言われます。実質的にスペインを統一したカスティージャ王国の言葉として全国に広まったので、標準スペイン語と聞くと、その発祥の地である現在のカスティージャ・レオン州、なかでも800年余りの歴史を誇る大学のある古都サラマンカやスペインの首都になったこともあるバジャドリード辺りで使われている言葉が頭に浮かびます。
例えば、日本の外務省に入りスペイン語専攻となると研修先として頻繁に選ばれるのがこの両都市です。スタンダードなスペイン語を学ぶには最適な場所と考えられてのことでしょう。外交官として、一番標準的と言われている形をまず習得するのは至極当然で、もしも在日スペイン大使が公式な場でのご挨拶を突然“船場言葉”で始めたとしたら、それはそれでとてもチャーミングで大向こう受けするかもしれませんが、外交の場としてふさわしいか否かは疑問が残りますよね。
となると、スペインに於ける“スタンダード”なスペイン語が使われているのはカスティージャ地方ということになります。しかしそれはあくまでも標準であって、それ以外の地域や国でのスペイン語が正しいとか間違えているという事でもありませんし、まして、美しいとか汚いという話でもないでしょう。まあ美醜は受け取る人の感性の範疇ですから一概には言えませんが。
スタンダードな辞典。スペイン王立アカデミー編纂西・西辞典
スタンダードな文法書。スペイン王立アカデミー編纂新基本スペイン語文法。
このスペイン語、英語同様とても広範囲で使われている言語なので規範となる文法は同じでも国や地方によって受け継がれてきた独特の方言があり、それがまた独自の文化を作り上げています。例えばスペイン南西部アンダルシア地方の日常ではカスティージャ語の方言であるアンダルシア・スペイン語(andalúアンダルー)が使われていて、さらにその中にもグラナダ弁やらセビリア弁、カディス弁など地域によって異なる語彙や言い回し、イントネーションがあるのは、同じ関西弁という名称でくくられても、神戸や大阪、京都では話し方もそれぞれの特徴があるのと一緒ですね。
15世紀以降アメリカ大陸にも広まったスペイン語=カスティージャ語。現在中南米諸国の内18の国々がこの言葉を公用語としています。言葉は生きていますから、500年の間に各国、各地域で使われている言葉も変化するのは世の習い、アルゼンチンではスタンダードなスペイン語でもお隣のチリの標準スペイン語とはずいぶんとかけ離れたものであるのは想像に難くありません。
中南米諸国のスペイン語国にはそれぞれの国の“スタンダードなスぺイン語”があって、必ずしもスペインに於ける標準語だけが“スタンダード”ではないと考えたほうが自然かな、などと愚考してみる次第です。
と、書いてきてサラマンカ大学で学んだ外務省留学生で思い出したのが、1981年から1984年にかけて在スペイン特命全権大使として在任された林家永吉氏の事でした。大阪外国語学校(大阪外国語大学の前身)でスペイン語を学び外務省に入省、1941年から1943年までサラマンカ大学に在外研修留学生として在籍しています。外交官として日本とスペイン語圏諸国との絆を深めるだけでなく、『奥の細道』のスペイン語訳(*)や、スペイン語で書かれた『コロンブス航海誌』等をはじめとする多くの歴史書の邦訳など文学の面でも輝かしい業績を残されました。
その功績をたたえ、サラマンカ大学内の日西文化センター図書館は“Biblioteca Embajador Eikichi Hayashiya de Estudios Japoneses. 林屋永吉大使日本研究図書館”と命名されています。
(*)林屋氏と御同業のメキシコ政府外交官でありノーベル文学賞を受賞したオクタビオ・パス氏との共訳。
またまた余談になりますが、林屋大使がマドリード在任中、忙しい公務の合間を縫ってしばしば街に出没、日本からやってきた画家や音楽家の卵、貧乏留学生、はては無銭旅行の若者達にまで激励の言葉をかけていらっしゃったとのこと、お人柄がしのばれます。