その地中海沿岸の地域は太陽の恵みを受けて農業が盛んで、特にバレンシア地方はアラブ支配時代にもたらされた灌漑技術で肥沃になった土地に彼らが持ち込んだ米やオレンジ等から《バレンシア・パエージャ》や《バレンシア・オレンジ》として今ではその名を世界中に知られるようになりました。
先日、日本でも有名なバレンシア・オレンジの生まれ故郷を訪れました。バレンシア州、バレンシア県のカルカイシェン(Carcaixent)という人口二万人の小さな町です。この町のモセン・モンソ(Mosén Monzó)司祭が地元の有志と協力して、乾いた土地にアラブ伝統のノリア(noria)と呼ばれる水汲み水車を使って井戸から水を汲み上げて肥沃な土地に改良、オレンジの本格的栽培を始めたのが1781年の事だそうです。
今回訪問したのは、此処オレンジ栽培発祥の地で果実を輸出する際に必要な木箱の製造販売で財を成し、1870年に栽培事業を始めたHuerto San Vicente 農園です。現在ではNaranjas Riberaというブランドで小規模な家族経営で注文販売をしています。創業者が建てた立派なお屋敷を取り囲むオレンジ畑、さながらフランスのワイン農園・シャトーもかくやと思われる風格があります。
ところでバレンシア出身の印象派画家ホアキン・ソロージャ(Joaquín Sorolla)はスペインの情景(Visión de España)という連作の中で彼の故郷バレンシアの風物を象徴するテーマにオレンジと椰子の茂る農園を選びました。1916年この作品を描くために毎日のように発祥の地カルカイシェンに隣接するアルシラ(Alcira)村へ通って仕上げたそうです。それは依頼主である “アメリカ・ヒスパニック協会The Hispanic Society of America”の創立者アーチャー・ミルトン・ハンティントン氏が設立したニューヨークの同協会美術館に展示されています。
https://hispanicsociety.org/visit/galleries/sorolla-vision-of-spain-gallery/
と、ここまでこのオレンジはバレンシア原産のごとく書いてきましたが、実はバレンシア・オレンジという品種はバレンシアから9600km離れたアメリカ合衆国はカリフォルニア州オレンジ郡の郡庁所在地サンタ・アナ(Santa Ana)の出身です。遠くアジアからヨーロッパに入り、今度はスペインの宣教師たちが新大陸に持ち込んだオレンジを19世紀半ばに交配して作り上げた新種、当時甘いオレンジの産地として有名だった名前を冠しバレンシア・オレンジとしました。 いまでは里帰りしてバレンシアでアメリカ原産バレンシア・オレンジが栽培されています。“出戻り”というか”帰国子女“というか?
日本では4月14日はオレンジの日だそうですが、スペインでも地中海沿岸やアンダルシア地方の街々の中庭の庭木や街路樹として植えられたオレンジが花をつけ、かぐわしい香りを放ち始めて春の訪れを告げます。しかしこのオレンジは《苦いオレンジnaranja amarga》と呼ばれるいわゆる橙の類ですのでそのまま食するわけにはいきません。我が家ではもっぱら搾り汁を醤油で割って簡易ポン酢として楽しんでいます。お決まりの“花より団子”。