図1,タクシー人道回廊
マドリード・タクシー・プロフェッショナル連合(FTP)のコーディネートを得て始まったこの国境なきタクシー旅団計画はSNSで拡散、賛同者が続々と集まりウクライナ難民支援作戦が始まりました。最終的に編成されたマドリード・タクシー旅団の内訳は18台のタクシー、12台の9人乗り大型バンタイプのタクシー、2台のキャンピング・カーとで合計32台、昼夜を問わず走り続けられるように運転手は一台に2人、男女66人で構成されて、往路は集められた25トン余りの医療品、食料、衣類などの救援物資を難民が集まるポーランドまで運び、空車になった復路はウクライナ難民を乗せてスペインへ緊急避難させるという2つのミッションを持つ計画です。
写真1
写真1.は支援物資を搭載して準備万端整いマドリードを出発したのが3月11日、まずは北へ向かって進軍するドン・キホーテ旅団の雄姿です。
当初の計画ではウクライナとの国境近くで多くの難民が集まっているプシェムィシル(Przemyśl )まで行く予定でしたが、ロシアの攻撃がウクライナ西方に及び難民の数も増え混乱を極めているので目的地がポーランドの首都ワルシャワに変更されました。そして3月13日に到着し援助物資を届けて最初のミッションを完了しました。
写真2
写真2.はできる限り多くの物資を詰め込んだワゴン・タイプのタクシーです。シートの下にある牛乳パックは多分自分たち用でしょう。
残るはこの計画で最も困難な第二のミッション、ウクライナ避難民の移送作戦です。成人男性の出国が禁止されている中、必然的に乗客は女性や子供達でそれも戦火を潜り抜けて国境を越えてきた心身ともに疲れ果てた人達です。3月14日朝11時、避難所になっているワルシャワ郊外のショッピングセンターで空車になったマドリード行き最初のタクシーに乗り込んだのは母親に抱かれた生後1か月の赤ちゃんでした。高齢者や体調不良の人、赤ちゃんも三人いるので適宜休憩しながら三日後の3月17日夜に無事マドリードへ帰着して往復6370㎞の長距離任務を終わらせました。参加した一人は“運転手人生で一番充実した乗務だった”とコメントしています。
ところでスペインへ避難させる難民は事前に在スペイン・ウクライナ大使館経由で選ばれました。家族がスペインに住んでいるとか以前スペインに住んでいた人達で最終的には、135人のウクライナ人(猫1匹と犬4匹を含む)、がマドリードまで送り届けられました。
この国境のないタクシーによるウクライナ救援作戦にかかった費用約6万9千ユーロ(862万円)は運転手たちが持ち寄った資金や募金活動での寄付金で賄ったそうです。運転手の子供達も貯金箱から献金したとか。今後は戦況しだいですが、今のところは次回の旅団派遣も視野にいれて活動費の募金集めを行っています。ガソリン代、高速料金、食費、宿泊費などタクシー1台マドリード・ワルシャワ往復で1.000~1,200ユーロ(125,000 円~150,000円)かかるそうです。今までのすべての生活を捨てて祖国を後にする人々の想像を絶する苦悩を少しでも和らげることができるのなら、そもそも人の命を救えるのならこの金額は決して高くはありませんね。
世界中で行われているウクライナ支援活動のほんの一例かもしれませんが私の住んでいるマドリードで何かとお世話になっているタクシーの運転手さんやそのご家族の行動を多くの人に知って頂きたくこの拙文をしたためた次第です。
しかしこのような行動は初めてことではありません。以前にも私が目撃したマドリードのタクシー屋さん達の連帯行動で印象に残っているのは、今から18年前の2004年3月11日の朝、通勤列車を狙っての同時多発列爆破テロが起こり死者約200名弱、負傷者2000名以上の大惨事となった際、緊急車両だけではさばききれないほどの多数の被害者を搬送するのに大活躍していたのがボランティア・タクシーですし、直近では、コロナ禍が猛威を振るっていた真っ最中に何日も自宅に帰れず病院に張り付いていた医療従事者に少しでも休息をとってもらおうとタクシーがボランティアで送り迎えをしていました。
連帯と言えばその際病院関係者に差別的な対応をとるどころか久しぶりに家に帰ってきたお医者さんや看護師さん等医療従事者の皆さんをご近所が拍手で迎えていた様子を見て、この国に住まわせてもらって本当によかったとつくづく思いました。