そのあとを継いだのがご子息のアルフォンソ13世、この国王陛下は現在公開されている王宮の厨房で調理された料理を召し上がった最後の王様となりました。祖母にあたるイサベル2世がパリへ亡命したように、1931年4月国民投票の結果を受け王宮を後にしてイタリアへ向かい、ローマで亡命生活を送ることになったのです。国王陛下不在の共和国時代、そしてその後の市民戦争、フランコ総統独裁時代を経て現在のフェリペ6世を頂く立憲君主制のスペイン王国にいたるまでこの厨房が煮炊きをする場所として使用されることはありませんでした。 写真1.はマドリード王宮内の王室厨房です。
写真1
このアルフォンソ13世も祖母と同じくスペイン料理好き、そればかりか陛下のご献立はフランス語で書く習慣であった伝統を破りスペイン語で書かせたのです。その最初が写真2.の国王陛下SM-Su Majestad(YM-Your Majesty)1906年2月13日の御昼食の献立です。
写真2
Almuerzo de S.M 陛下のご昼食 13 Febrero 1906
Sopa de sémola セモリナのスープ
Huevos fritos á la Española スペイン式エッグフライ(*)
Salmonetes á la Andaluza アンダルシア式ヒメジの唐揚げ
Filetes de ternera con arroz 子牛のステーキ ライス添え
Legumbres variados 各種野菜
Pollos asados ローストチキン
Natillas カスタードクリーム
(*)日本で言う目玉焼きとは違い多めの油を使い、焼くというより文字通り卵を揚げる料理です。
写真3
写真3はスコットランド・ナショナル・ギャラリー 所蔵 ベラスケス作 『卵を揚げている老女』の一部です。ここでお分かりいただけると思いますが多めの油を使い、手にもっている木杓子で熱い油を卵にかけながら黄身を半熟状に仕上げます。写真4.が正しいスペイン式エッグフライ 目玉揚げ?の姿です。
写真4
1908年アメリカ合衆国上下院議員の奥様達がワシントンD.C に議会クラブThe Congressional Club を設立しました。その活動の一つとしてアメリカだけでなく世界各国の代表的な料理を集めた本The Congressional Club Cook Bookを1927年に刊行しています。その際に各国の大使館にも協力を仰ぎレシピの収集をしましたが、スペインを代表する料理としては在ワシントン スペイン大使夫人によるバレンシア・ライス、カスティージャ・チキン、マドリード式コロッケなどで、在スペイン アメリカ大使館提供のレシピはロブスター・アメリケーヌ(なぜかスペインのレシピと言うことになっています)。マドリードのリッツ・ホテルはパエージャの作り方を紹介しています。
写真5
ことほど左様に自国の料理を愛したグルメな王様がパリ滞在の折、後に天皇となられる若き日本の皇太子殿下を食事にお招きになったそうですが、その際の献立も多分お気に入りのスペイン料理だったのでしょう。1921年(大正10年)3月3日から9月3日まで6か月間に渡る皇太子裕仁親王欧州訪問の際の出来事でした。
欧州各国での数多くの要人との面会、また歓迎式典や晩餐会などへ台臨する中、スペイン国王とのご面会とお食事、公式記録には残っていませんが弱冠20歳の裕仁殿下にとってはさぞかし印象深い思い出になったことと拝察します。スペイン国王が先の欧州大戦時の人道的活動により君主として唯一人ノーベル賞にノミネートされたこともご存じだったかもしれません。
前国王フアン・カルロス1世が1980年日本を訪問なされた際に当時の昭和天皇が『昔あなたの祖父君からお食事に招待していただきましたよ』と仰ったとか、パリでの非公式なお食事会は1921年6月28日とのことですので60年前のスペインとの出会いを懐かしく思い出されたことでしょう。
スペインに関する記事ですので蛇足とは思いますが前述のThe Congressional Club Cook Book にはもちろん我が日本も参加しています。ご提供いただいたのは当時の松平駐アメリカ合衆国日本国特命全権大使夫人の信子様でこの申し出があった際に多くの候補が頭に浮かんだ中で、当時アメリカで入手できる材料で出来る日本の人気料理ということで選ばれた料理はすき焼きです。その背景から始まり、アメリカのご家庭でも再現できるように日本酒がなければシェリー酒で代用とか牛肉の代わりに豚肉や鶏肉でもと、現地に事情に合わせてアレンジした詳しいレシピが写真6です。流石に溶きほぐした生卵を付けていただく方法は紹介されていませんね。
写真6