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当然ですが両都市ともその“おへそ”周辺はずば抜けた一等地で地価もそれなりでしょう。そんな地区でありながら、マドリードでは起点からわずか300m程の所にトマトやらレタスを栽培している畑があるのを知っている人は少ないと思われます。
その場所は16世紀半ばに建設されたラス・デスカルサス・レアレス修道院の中庭で、そこでは世俗との接触を断ち、自給自足を基本理念として祈りと労働の日々を過ごす修道女達がささやかながら畑仕事をしています。この場所には以前カルロス5世皇帝の宮殿がありました。そして後にこの修道院を創立した末娘のフアナ王女の生誕と終焉の地でもあります。このように代々スペイン王室と深い関係があって名称にもReales(ロイヤル)が使われています。
写真2はこの修道院。右奥の縦縞模様のビルはスペイン国内206店舗を展開する百貨店エル・コルテ・イングレス1号店です。El Corte Inglésは日本語で英国仕立という意味です。そういえば三越本店も日本橋にあり、両店とも国の中心にあって、出自も呉服店と仕立屋で同じく衣服を扱う商売から始まった点が興味深いですね。
写真2
修道院に話をもどすと、遡ることおよそ400年前、1615年2月17日 この修道院内の教会で当時のスペイン国王フェリペ3世陛下御臨席の下、洗礼を受けカトリック教に入信した日本人がいました。仙台藩主伊達政宗の命を受けて慶長遣欧使節団の副使として団を率いた支倉常長です。ちなみに正使兼通訳はセビリア出身の宣教師ルイス・ソテロ司祭でした。図1はローマにあるイタリア共和国大統領官邸クイリナーレ宮殿内の王の間の壁に描かれたフレスコ画です。
図1
使節団御一行は1613年10月仙台領月浦港を出帆、太平洋を3ヶ月かけてメキシコに上陸し、陸路移動した後大西洋岸のベラクルス港を出発してから4ヶ月後にヨーロッパ最初の上陸地であるスペインに到着しました。日本人で初めて太平洋と大西洋を横断した人物となったわけです。その後スペインからフランス経由でローマに赴きパウロ5世教皇聖下に謁見して藩主政宗公の親書を奉呈しました。
ローマからの帰路、一行はセビリア郊外の小村 コリア・デル・リオに滞在しましたが、往路で経験した艱難辛苦の旅を繰り返したくない乗組員の一部が村に残る決断をしました。その結果、現在3万人余りの人口中711人がハポン(日本)という苗字を持ち慶長年間の日本人のDNAを受け継いでいます。
追: おまけと言っては何ですが、日欧交流の先駆けとなる偉業を讃えて『支倉焼』と命名された仙台銘菓があります。バターや卵を使用したクッキー生地で胡桃を混ぜた白餡を包んだ和洋折衷の逸品です。一時帰国で仙台へお邪魔する機会があれば『黒砂糖まんじゅう』と共に必ず購入する血糖値上昇覚悟の禁断の甘味です。