• 2025.05.23
  • 在スペイン大日本帝国公使館兼マドリード須磨美術館 続
前回の投稿は須磨公使がマドリード駐箚時代に行った公務活動としての戦時情報収集についてでしたが、今回はその間の私的活動としての芸術作品収集についてです。1941年1月31日リスボンからマドリード入りして、20日後にはフランコ総統への信任状捧呈式を控え多忙な公務が始まる中、着任から一か月の間になんと12回もプラド美術館を訪れるほどで彼の美術への関心の高さがうかがえます。そしてその情熱は鑑賞だけにとどまらず、美術品の収集にも向けられました。


写真1

写真1.は1943年8月15日付けスペインの全国紙ABC 日曜版に掲載された記事です。公使自身常々公邸を“私の美術館”と呼んでいたそうですがその様子が見て取れますね。これらの収集はマドリード到着直後の2月から始まり初年で520点、翌年42年は320点、続いて43年には620点もの作品の購入が記録されているそうです。この新聞記事が掲載された時点では公使館内のスペイン美術品の総数は2400点余りとされているので資料に記録されていない作品も多く存在したのでしょう。


写真2

そして須磨公使は美術品を収集するだけでなく、芸術家のパトロン・後援者にもなっていて、なかでも当時スペイン画壇きっての肖像画家 マヌエル・バスケス・ディアス Manuel Vazquez Días(1882-1969)とは特に親交を深めました。その代表作の一つには写真2の《須磨彌吉郎の肖像》があります。


写真3


写真4


写真5

制作年が1941年ですからスペイン赴任間もなくの作品で、右下に置いてある青表紙の本は題名が”Donde está el Japón 日本は何処に”と読み取れる須磨氏の著作です。もともと一年前に日本で出版された写真3の著作“Where Japan Stands”が原本と思われます。スペイン語版が発刊されたの1942年ですからこの肖像画作成時点ではまだ出版されていなかったはずです。写真4は出版された著作で、既に前年完成した肖像画が表紙に使用されています。写真5は著書の表紙裏で、肖像画を制作した画家のアトリエにたたずむご両人です。

この肖像画を含む須磨氏が収集した多くのスペイン芸術作品群は須磨氏本人が作成した目録(Catálogo de Colección Suma)によれば1760点の作品が登録されています。しかし1945年4月11日スペイン政府が日本との国交断絶を通告して公使館兼マドリード須磨美術館は閉鎖となってしまいました。 さて、公使がスペインで収集した膨大なコレクションのその後の行方は・・・? と前回と今回、若干マニアックな話題ですが、ついでに次回もお付き合いください。

特派員

  • 山田 進
  • 職業スペイン語・日本語通訳

スペイン政府より滞在許可と労働許可を頂き、納税・社会保険料納付をはじめて早37年。そろそろシルバー人材センターへの登録も視野に入った今日この頃、長い間お世話になったこの国のことを皆様にご紹介できることを楽しみにしています。

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