日本人は、初めて知り合う人に必ず苗字で自己紹介をします。その延長で、とても親しくなっても苗字で呼び合うのが定着している場合が多いとは思いませんか?西洋人は、苗字ではなくて名前で自己紹介します。
イタリアに来てこの自己紹介で苦笑したのが、最初の出会いの時に握手を交わしながら名前を名乗るのですが、誰も相手の名前を覚えようとはしません。状況をよくよく観察したところ、最初の出会いの自己紹介では誰もが相手に名前を覚えてもらうつもりもないので強調せずに暗号のようにさり気ない口調で言い交わしている実態が浮き上がって来ました。その後の会話が進んでどんなに盛り上がったとしても、相手の名前を覚えないままサヨナラなんてことも大いに起こっていて、暫くしてから「ところで、あの人なんて言う名前だったっけ?」と、 外国人である私に、しかも会話にあまり参加せずに居合わせてボケーっとしていたこの私に聞いてくる始末。
イタリアに住み始めて知り合いが増えてきてから困ったのが、電話帳への登録。私の電話帳には同名で違う人物の電話番号がいっぱい。イタリアはカトリック教の聖人の名前を授ける傾向が非常に強いので、私の知り合いには「Simone」とか「Giovanni」などが沢山。で、電話やメッセージを受け取ると、時々どの「Simone」どの「Giovanni」なのかが内容からでさえも推測できない事態が発生。知り合いが増えれば増えるほど、苗字も知ることがとても大事になってきました。
イタリア人の苗字が、これがまた実に面白いのです。マンションのインターホンに並んでいる苗字を読んで歩くのが楽しかったくらい面白いのです。あの頃、可笑しい表札を写真に撮らなかったことを残念に思います。例えば、「Volpintesta頭上の狐」さんなんて、インターホンを鳴らして呼び出したら、本当に頭に狐を乗せて現れそうな気がしてくるから不思議です。「Belladonna美女」さんは、例え美人で無くても、こんな苗字を持っていたら美人な気分になれそうで羨ましい。「Boccadoro黄金の口」さんは、雄弁という意味で演説上手になれそうな苗字です。これらの苗字は、イタリア人の可笑しい苗字ベスト100と比べると序の口で、「Senzaquattrini文無し」さん、「Chicchirichìコケコッコー」さん、「Tettaおっぱい」さんなど信じられないような苗字の例は切りがないようです。日本でも珍しくて、場合によっては呼びかけるのを躊躇うような困惑的な苗字があるようですが、私の知り合いにはいませんでした。
イタリアの内閣が、「Piccoli」「Storti」「Malfatti」という苗字の大臣達で形成された時代があったそうで、まとめて訳すと「ちっこくて歪んでいて出来損ない」の大臣で成り立った内閣ということです。
その当時のイタリア市民は政治にさぞかし強い不安を抱いたに違いありません。
イタリアは目下選挙前。特別に変わった苗字の候補者はいないようです。