ミラノの夏は東京に負けず暑く、太陽からの直射日光とアスファルトから立ち昇る熱を浴びながら街中を歩いている時に、心と体を癒してくれる一本の木の木陰を見つける度に私の頭の中で、ヘンデル作曲のオンブラ マイ フが流れます。かなり昔になりますが、日本ではコマーシャルに使われた曲でもあるので曲にお馴染みの方もおられるかと思います。旋律も美しいのですがプラタナスの木の木陰を歌った歌詞も純粋に美しい曲です。是非、一度聴いてみて下さい。
さて、ミラノの街中を闊歩していて、フェンスに囲まれた緑地がいくつもの区画に仕切られている所に出くわします。よくよく見ると、トマトなどが植えられたミニサイズの畑が集まった所なのです。これが、話に聞いていた「都会の農地」。東京の都会にも野菜の栽培が出来るような貸し出し農地が最近はあるようですが、ミラノの街中の貸し出し農地の歴史はかなり長いのです。もともと貸し出し農地は、オランダやドイツなどで始まった習慣だそうですが、イタリアでは第二次世界大戦後の貧困の時代に、食料の生産を増やすために政府が、未耕作の土地はどこでも自由に耕して食材を栽培しても良いと許可を与えたことが始まりだったそうです。
ミラノ市役所が管理をしているこの貸し出し農地は、定年退職をした人や小学校の児童に栽培について実践で教えるスクラムを組んでいる人たちなどが借りることができるようになっています。貸し出し農園を借りた隠居さん達が、週末に家族と共に農園を訪れ、親戚、兄弟、孫など一緒に畑を耕し栽培の手入れを施し、しかもバーベキューを行なっても良いそうなので、団欒を楽しみながら農園の片隅に建っている掘っ建て小屋で食事をし、まるで絵に描いたような家族円満の光景を見られる場所でもあります。近代社会の家族が持つ問題の一つとして、親子間の共通の会話や共同作業の機会が無いと指摘されていますが、貸し出し農園での栽培は、家族間の絆を深める良い効果があるのは間違いないでしょう。そして、温室栽培など栽培技術の進歩で、それぞれの野菜の旬がはっきりしなくなった現代において、栽培の実践は人間と食の関係の原点に戻る良い機会の一つでもありませんか?
私も、猫の額ほどの小さな庭を自宅に持っていますが、ガーデニングには全くもって無知にも関わらず週末に天気の良い日が当たりガーデニングもどきな作業をすると、心が癒されている自分の姿を認識します。庭が持てない人も、ベランダにパセリやバジリコなど、それこそ鉢植えのトマトを育てる楽しみは、人生の中で誰でも一度は経験したことがあるに違いありません。
北国ノルウェーでも貸し出し農園を見かけたことがあって、設備のレベルの高さはもちろんのこと、実に可愛らしく整備されていて、貸し出し農園に住み込んでしまいたくなるほどよく出来ていました。一方、ミラノの貸し出し農園を囲っているフェンスは、残念ながらかなりお粗末なものが多く、栽培しているものが盗まれてしまうこともあるそうで大切に育て上げた野菜が、最終的には栽培者の口に入らなかったりすることも多々あるようです、、、
それに懲りずに、貸し農園サービスがミラネーゼにより広まっていくことを私は願っています。ミラネーゼ達が先を争って貸し農園を欲しがるくらいの素敵な農園が街中に増えたら、どんなに素敵なことでしょう。