パパラッツィは、イタリア語。
語源が面白いな、と思ったのは、イタリア映画の登場人物の名前パパラッツォから生まれたのです。たった一映画の登場人物の名前が、世界中で使われる単語になったなんて凄い現象ではありませんか??
もちろん、その映画は平凡な映画ではなく、あのイタリア人巨匠映画監督 フェデリコ フェッリーニの作品であった、と言えば納得していただけるでしょう。更には、パパラッツォを演じていたのは、あの甘いマスクで世界中の女性を悩殺した大スター マルチェロ マストロヤンニとくれば、それこそ世の中のパパラッツィがマストロヤンニのようだったら、追っかけられてもいい、隠し撮りされてもいい、と言い切る女性も出てくるのではないのでしょうか。
ところで、マストロヤンニがパパラッツォと言う名前のゴシップ記者の役を演じた映画「甘い生活」には、その映画を全部見た事が無い私でも知っているワンシーンがあって、それは女優アニタ エクバーグがトレヴィの泉に入るシーン。このシーンの撮影には、本物のパパラッツィが押し寄せたとか。そう、とても官能的なシーン。彼女だったらフェッリーニの演出無しで、しかもトレヴィの泉でなくても、つまらない池の中でもセクシーなのでしょう、、、
今年は、フェッリーニの生誕100年。今まで色々な映画を見てきたつもりだったのですが、フェッリーニの映画に関しては、部分的にしか見ていなくて一本の映画を最初から最後まで見ていない事に気がつきました。フェッリーニの生誕100年を機に、鑑賞してみましょう。
お父さんに連れられて見に行ったサーカスに感激し、その後学校をサボってまでサーカスに毎日通ったフェデリコ少年。それだけでは済まされず、ついには家出までして、学校でいじめにあってるだの、家ではご飯も食べさせてもらえないだのと嘘を言って、サーカス小屋に逃げ込んで住みこんだとか。かなりの行動派で、ロマンスに溢れる子供だったのでしょうね。と言うのは、その後彼は2度目の家出を図り、それは15歳の時でビアンキちゃんと言う同い年の子との駆け落ちだった!
彼の女性への情熱は、一度だけの駆け落ちからだけでは計れるものではありませんが、あのトレヴィの泉のシーンだけをとってみても、女性美を崇める人でなければ演出できません。
彼が映画監督になる前に、台本を手がけている時代に、初めて撮影現場を訪れた時の感想を読むと思わず微笑んでしまうのが、こんなに美しい女優たちに囲まれて映画製作をしている監督は、どうやって理性を保って仕事をすることが出来るのだろう?と。
実際に監督になった後に、この疑問というか心配は、どのように解決されたかはさておき、美しい女性を更に美しく演出できる傑出した監督であったことに間違いありません。それゆえに登場人物の名前が公用語にまでなって全く不思議ではないのでした。