1400年代のヴェネツィア人 ピエトロ クエリーニ氏は、財力と権力に恵まれた家族の元に生まれヴェネト州議員でもあったのですが、商業精神に富んでいたのでしょう、白ワインの種類の一つであるマルヴァジア ワインの輸出で成功し、フランドル地方へ貿易のための航海で頻繁に出かけていたようです。
今だったら、スーツケースに衣服を詰めパスポートを持って飛行機に乗って遠い国へひとっ飛び。が、彼の時代は船を始め船長や船員を雇い、食料品を詰め込み、諸事万端の装備品を準備した上での命がけの航海。それでも彼自身が船に乗り込んで出発していたのは、航海好きか又は他人を信用できない疑り深い人だったのか、一体どちらでしょう、、、?
ある夏、目玉商品である例の白ワイン、それからスパイスやコットンなどの商品を大量に船に積み込んで、クエリーニ氏はいつものようにフランドル地方へ輸出の航海に出たのでした。ところがその航海では不運にも大時化に何度も襲われ、とうとう船は難破。68人もの乗組員の一部も死んでしまい、クエリーニ氏が乗った救命ボートはなんとか無事に嵐を乗り切り逃れたものの波と風の気まぐれに押し流され、その行く先は雪国に到着してしまった。そう、なんとノルウェーまで来てしまっていたのでした。凍え死にの運命かと思いきや、溶けた雪を飲み岩に張り付いた魚介類を剥がし飢えを凌いでいたところ、ある時近くの島の住民に発見され介抱されて一命を取り留めました。
そのノルウェー人達が与えてくれたのは、鱈の塩漬け。クエリーニ氏はその美味しさに感銘を受けて、4ヶ月世話になった間にその手法を学んで書き留めておいてから生まれ故郷のヴェネツィアに持ち帰って伝授しました。その時からこの鱈の塩漬け、ことバッカラはヴェネト人達の好物となりヴェネト州の伝統料理になったのでありました。ちなみに、クエリーニ氏がノルウェーで書き留めたバッカラ作りについての手記は、今でも残っていてヴァチカン帝国の図書館に保管されているそうですよ。
発祥の地のノルウェーでもそうですが、この鱈は捨てる所なく肝まで塩付けにしたり干したりして食するのですが、なんと鱈の舌まで食べられるのだそうです。捨てる部分1つも無く活用する伝統料理といえば、ミラノでは豚を使ったカスーラ。豚、豆、野菜の煮込み料理のカスーラは、霧 の日が多くなり冬の到来を感じさせるこの時期のミラノの風物詩。独特のイントネーションを持つカスーラは、私が50回繰り返し発音しても、たったの1、2回しかミラネーゼからの合格点をもらえません。 今年も、1年に1回やってくるカスーラの発音練習の時期が始まりました。