• 2021.03.19
  • 喧嘩
幼少の頃から私はアメリカ映画やシリーズなどを鑑賞してきて「凄まじい言葉を友達に浴びせあったりするけれど、でも仲直りも出来てよく出来た世界だなぁ」と変な所に感心して、そんな喧嘩に憧れさえ感じたものでした。


イタリアに移り住んで約20年。あの喧嘩は映画の世界だけの作り事かと思っていたら、実は現実にあるから映画でも表現される喧嘩だということがわかったのです。イタリア人同士の口喧嘩は激しくて第三者の私はハラハラドキドキさせられますが何より一番腰を抜かされるのが、喧嘩の深刻さの度合いに関係なくいつの間にか仲直りしていて仲良しになっていること。影ながら心配し続けていた私がバカ?!

一方、イタリア人と日本人間の喧嘩はちょっと違う。イタリア人とどんな喧嘩をしてきたかは 私はよく思い出せないのですが「聞いてよー!イタリア人と喧嘩をしたぁ」と日本人の友人が訴えてくる話を聞いてみると「これは流石に言わないとか、これを言ってしまったら絶交で永遠におしまいとか、限度があるでしょう?それがね、限度なくとことん酷い事を言っておいて、後日仲直りしようとするのよ。信じられる?」が大抵の喧嘩のポイントのよう。


日本人は、喧嘩をしたら絶交になるので喧嘩にならない内に事を解消しようとする傾向がありますが、西洋人は喧嘩を避けると言うよりは逆にお互いに挑発しながら胸の内を明かして発散出来たら仲直りする事が暗黙の了解のルールのようです 。特にイタリア人は個性を重んじる国民なので意見が違うのは当然と思っていて、議論を闘わせることによってどこが違うのか、どう違うのか、どれくらい違うのかをお互いに測っているかのように見受けられます。

さて、先日このイタリアン スタイルの喧嘩が身近で勃発。それは隣人同士の口論。私が朝のジョギングを終えて戻って来た時に隣人A氏と運悪く鉢合わせ。隣人B氏からの苦情電話とインターホンで起こされた様子がうかがえて正にパジャマのままで、問題になっている車を動かす所でした。パジャマ姿でも構わずA氏は私を捕まえて愚痴っている所にB氏の奥さんがこれまたパジャマ姿で登場し、口論が白熱。私はそそくさと自宅に逃げ隠れ。

パジャマパーティーならぬパジャマ喧嘩は終わっても今度は土俵を変えて、ここだけの隣人で構成されたグループチャット上で喧嘩が続行。喧嘩の 勢いと激しさは増す一方。私だったら怒りで身体中が震えて文字盤をうまく押せないでしょうからチャットでの喧嘩も成り立たない、、、

隣人全員を巻き込んでのチャット喧嘩は膨れあがる一方でしたが、イタリア人は奥の手を出す良いタイミングも心得ているのでしょう、私だったらもっと前の段階で言っていたであろう台詞、つまり「隣人として皆上手く付き合っていたんだから、喧嘩はもうやめて仲良くしよう。気候が良くなって来たことだし皆でバーベQでもして忘れて仲良くしよう」とある時点で1人が書いた事が きっかけで「言いすぎた。ごめん」「バーベQには美味しいワインを持っていくよ」などなどの返事が飛び交い、あれよと言う間にハッピーエンド。狐につままれたのは、私だけ。


私は、イタリアン スタイルの喧嘩をいつか習得できるのかな?試してみましょうか。

特派員

  • 三上 由里子
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地にソロとアンサンブルの演奏活動中。クラシックからポップスまで幅広いジャンルのレパートリーを持ち、イタリアの人気コメディアンの番組にバンド出演中。

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