さて、サラリーの語源はお給料がお金で支払われるのではなくて塩であった時代から来ている事実は日本でもよく知られていますが、出発点は古代ローマ時代。その証拠に今でもローマ街道の1つにサラリア街道、つまり語源となった塩を運んでいた道が残っています。この塩の交易がローマという街が誕生する原点だったとも言われているそうで、古代ローマ人は街道が町の発展の秘訣だとわかっていて街道開発に精を出したのだとか。
一方、北部イタリアには塩の道と名付けられている道がいくつかあります。その1つには南フランスの海外沿いの街を含めたリグーリア海岸のルートで、近辺の海から採れた塩を内陸部の山村に運ぶ輸送路が発達しました。塩は食物の保存のために山村では欠かせないものでした。
ところが、その塩の輸送にはかなりの高額な税金がかけられたとかで、山村で暮らす人々にとって塩は非常に高価な物だったそうです。ところでピエモンテ州は美味しいワインの産地でもあり肉文化も豊かで乳製品も豊富な地域として知られています。ピエモンテ州の美味しいワインと海岸沿いの塩との物々交換で商談が成り立った時期もあったのかもしれないとは思いましたが、ワイン製造時代と塩のサラリー時代はちょっとずれている。
ところで、塩にかけられる高額な税金対策として商人たちが考えたのが、塩漬けしたカタクチイワシの樽に塩を隠して運んだのだとか。樽の下部は塩だけで、樽の上部には塩漬けカタクチイワシを重ねて役人の目をごまかした?
これがアンチョビの誕生となった事が面白い。しかもアンチョビを使ったバーニャカウダがピエモンテ州の代表的な郷土料理になった事も面白いポイント。加えてピエモンテ州の山間部を牛やロバに塩漬けしたイワシを運ばせたルートが、塩の道と呼ばれるようになったことも更なる面白いポイントです。現在ではマウンテンバイクやトレッキングコースとして人気が高いルートとなっているのには、サイクリングをしないトレッキングをしない私でも行ってみたくなるような絶景のパノラマ続きのルートだからです。
ところで、ピエモンテ州の郷土料理の1つに、びっくりさせられると同時に可笑しくて笑ってしまう ラビオリ料理があります。アニョロッティ デル プリンと呼ばれるこの小さなラビオリは干し草と一緒にサーブされ、干し草も食べるの?と牛になったような気分になるお料理です。
塩が高価だった時代のサラリーマン達の密輸方法に思いをはせながら、干し草料理を頂くなんていう経験はいかがでしょう?