イタリア人はこの芯の部分だけを調理して食べるらしいのですが、貧乏性の私は、迷う事なく葉っぱの部分も捨てずに調理するので、イタリア人たちが驚いてしまいます。葉っぱは、芯と同じくらいの割合でかなりの大きい葉っぱで厚みもあって、けれどもかなりゴワゴワ気味で味もしないのでイタリア人には見向きされない。確かに、葉っぱより芯の方が美味しいんですけどね。
この様にコステの葉の部分は、私のように捨てるのを勿体ながっても無難に食することができますが、貧乏性を発揮したばかりにとんでもない目に遭う野菜がいくつかあって、毎回ミスを繰り返す私は、つくづく食い意地が張っていると我ながら呆れてしまいます。
貧乏性を発揮してはいけない野菜のナンバーワンは、アーティチョーク。
イタリアでアーティチョークは、収穫されたそのままで売られているのが通常。見るからに痛そうなトゲトゲしたタイプとトゲなしの葉っぱの先が丸みのある種類の2通りがあります。
どういうわけだか知りませんが、私はトゲトゲタイプの方のアーティチョークを買ってしまうわけで、痛っ痛っとトゲに刺されながら、葉っぱを剥いていきます。剥いていくと、葉っぱはどんどん柔らかいタイプになっていき、つぼみの部分に至ります。このつぼみの部分が、茹でたりしてアーティチョークを食する正しい部分なのですが、そのつぼみに至るまでにかなりの枚数の葉っぱをむく事になります。モシャモシャした柔かなヒゲの層も現れます。
ここまでくると、アーティチョークはかなり小さな物体となっていて、このヒゲの層も取り除いてしまうと、本当に小さくなってしまうのです。ここで普段からの貧乏性が出てしまって、ヒゲの部分も柔らかそうで食べられそうだし、かなり良い所までむいたから、柔らかい生まれたての葉の先がまだトゲへと成長していません様にと祈り、食べてしまおうとなるわけですが、これがとんでもない事になるのです。
生まれたての赤ん坊のように白くて、一見柔らかそうに見えますが、実はすでに立派ななトゲのある葉っぱ。なので、いくら調理しても、トゲはトゲ。
ほらほら、柔らかく美味しそうに茹であがってるじゃないの、と口に放り込んだ途端にトゲ達が口内で躍りまくります。決して柔らかくなることはないベビートゲ。口の中は、刺されてズタズタに、、、
アーティチョークで懲りずに、実はアスパラガスでも、私は貧乏性を発揮してしまい半泣きさせられます。アスパラガスの茎の根元部分をたっぷり切り落とさない上に、茎の硬い部分をピーラーで満遍なく皮むきをすればいいものを、食べられるに違いない、と疎かにしたがために、筋だらけのアスパラガスを永遠に噛み砕く羽目になる食事に。
貧乏性な私のために、捨てる部分無しの野菜全体丸ごと食べられる様な品種改良して欲しいなぁ、、、