一方、同じイタリアでにもかかわらず灰色の雲に覆われがちなミラノは、商業、工業、金融で発展した北イタリアにある町。そんな町に住む私は、味気ない野菜や、何週間経っても冷蔵庫の中で、不思議なことに熟すこともなければ腐りもしない果物、又は量産目的のみの家畜小屋で飼育された動物の肉などを、食卓で口にすることもあるわけです。
そんな「味気ない」ミラノに嫌気がさして「ミラノを去ってやる!」と思ったりもしたのですが、一体どういうことなのでしょう? ミラノを訪れる外国人が、そんなミラノの食事事情にもかかわらず選ぶべきところを選んでいるのであろうか「おお!美味しい!」と感嘆するのを聞くと、私はたじろぐのと同時に、他国の食生活に比べると、もしかするとミラノも捨てたものではないのか、と思ったりするのです。
最近、ミラノも捨てたものじゃない、と思わせてくれたイベントが行われました。それは、2012年から始まった毎年行われるピアノシティーと呼ばれる3日間のピアノのコンサートづくしのイベント。
ミラノ市内の様々な場所で行われるピアノのコンサートで、私邸、公園、工場跡地など普段はコンサートが行われない様な場所でも行われ、多くのコンサートは無料で誰でも気軽に聴きにいくことができるのが特徴。
加えて、世界的に有名なピアニストから新進気鋭の若手アーティストまで参加していて、クラシック、ジャズ、ポップスなど幅広いジャンルの音楽が提供される企画となっています。
私の身近にも、例えば知り合いのピアノの先生は、居間に素敵なグランドピアノをおいてあることを活用して、ピアノシティーのために自宅を開放してコンサートを行ったりしたそうです。
近年、イタリアで盛んに言われているのが、若者のクラシック離れです。クラシック音楽のコンサート会場に若者が来ないことをぼやいている様ですが、来ない原因の一つには、クラシック音楽のコンサートには堅苦しい雰囲気を感じるようです。例えば、どの瞬間に拍手をしていいのかも、わかる様でわからない決まりもあったりするものだし、ロックやポップスのコンサートのような自由さとは違う、逆の世界。
そんな中でピアノシティーは、型破りでユニークなコンサートを提供し、クラシック音楽のコンサート会場には足を運ばない若者が、クラシックの魅力を認識したりする機会にもなっています。
こんなにも開放的で自由な雰囲気に満ちたイベントですから、ユニークな試みも色々あって、例えば長時間に渡って連続演奏をするピアノマラソンを企画するピアニスト達もいれば、深夜にコンサートを行って独特の静けさとロマンチックなムードを楽しみながら夜明けを迎えたりする企画もあるようで、聴衆は寝袋を持参するのだとか。明け方のコンサート中には、一群の鳥が飛び立つ様子が見られたりして、自然と音楽の一体感を経験して感動的だったとか。別のところでは、電子ピアノの電源が落ちてしまうトラブルに見舞われたピアニストは、観客と即興で歌ったり、手拍子を使ってその場を盛り上げたという話も聞きました。
ミラノ ピアノ シティーは単なる音楽フェスティバルではなくて、予期せぬ驚きと感動を提供するイベントなのです。