豊かな彫刻の外観、ステンドグラスの見事な内部見学、それから屋上に上ると町の景観を満喫できます。その視界に入ってくるランドマークの一つが、Torre Velasca(ヴェラスカ塔)。
特徴的な形で目を惹き、誰もが見落とすことがないこのタワー。上部が広がった珍しい形の高層ビルです。
ヴェラスカ塔は1958年に完成し、26階建ての約106メートルの高さですが、その当時のミラノでは一番高い建物ではなく、同じ時に完成した別の塔、Pirelli(ピレッリ ビル)が上回っていました。
同じ時期に建設していた、といっても双方が競争していた様子は無く、この2つの塔が持つ背景が全く違う事によって、建設デザインも全く違う仕上がりになった事が面白いのです。
ミラノは、第2次世界大戦で激しい空襲に晒されて多くの破壊が生じました。なぜならミラノは、イタリアの工業と経済の中心地で、軍関係施設や工場の拠点があったので攻撃のターゲットになってしまったのです。
そんな戦後の混乱と多くの困難と課題に直面したミラネーゼ。その時代を生きたミラネーゼ達には、努力と助け合いという共通点を持っている様に思えます。大した知り合いでも無くても、しかも外国人の私のイタリア生活の初期の頃、分け隔て無く手を差し伸べてくれた人たちはあの年代のミラネーゼ。
そんなミラノで、ヴェラスカ塔は町の再建の象徴となるように、という思いが込められて建てられたのでした。その特徴的なデザインには、中世の要塞スタイルが取り入れられて、そこにモダニズムの芸術的美学センスが融合され、歴史的文脈を尊重しながらも現代的な要素を兼ね備えている事が評価されて、文化財として保護されて今日に至っています。
地上階には、カフェやレストランなどの商業施設が入っていて、その他は主にオフィス、一部が住居になっていて少数の住人が住んでいます。
比較的近い所にあるもう一つのピレッリ ビルは、イタリアの大手工業グループ、ピレッリ社が所有するビルで、当時の最先端の技術と設計で建設されました。スリムで近代的な外観を持ち、ガラスと鋼鉄を使用したモダンな建築様式です。
2002年の春に、小型飛行機がこのビルに衝突してパイロットを含む死者を出しました。あの当時は、2001年に起きたアメリカのツインタワーズのテロ事件が起きた後だったため、誰もが瞬時にテロ事件としてその衝突事故を疑ったのでしたが、真相は操縦士が悪天候の中で方向を見失ったことが原因とされています。その後タワーは修復され、その事件を教訓にミラノの高層ビルの安全対策の見直しが行われました。
近年、高層ビルが増えたミラノの町ではありますが、ミラネーゼにとっては、ヴェラスカ塔ピレッリ ビルのこの二つのタワーは特別で歴史的な象徴であり、ミラノの過去と現在をつなぐ重要な存在なのです。