新市街地は、旧市街の足元の平地に広がっています。商業施設や近代的な建物が立ち並ぶエリアで、美術館や劇場も充実しており、特にアカデミア・カッラーラ美術館が有名です。また、音楽家のドニゼッティの生誕地でもあり、クラシック音楽の公演も盛んに行われています。
だけれど、昔も今日もこんなにも素敵な町なのに、ミラネーゼにはちょっとだけ馬鹿にされているような気がしないでも無いです。それは、ベルガモの方言のせいかもしれない。ミラノに近いにもかかわらずベルガモの方言はミラノ弁とは似ても似つかないどころか、イタリア全国の中でもベルガモの方言は独特と見なされているらしいのです。つまりアクセントの位置が違うとかそんな他愛のない違いではなくて、イタリア人が聞いていても、内容を全く理解できないくらいの変形を遂げた方言。理解できないその悔しさ紛れなのでしょうか、そんな方言を喋るベルガモ市民をダサい、とからかうシチュエーションにしばしば遭遇します。
ところで、何を新たに発見したかと言うと、ベルガモ市民は働き者だとか色々な謂れがあるのですが、今となってはイタリア中で使われている言伝えの中で、ベルガモが産地の「狂人の木曜日」と言う謂れ。
ベルガモのすぐそばに12世紀ごろ創設のアスティーノ修道院があります。その美しい建築屋自然に囲まれて場所柄のみならず、複雑な歴史を持つことで知られています。
歴史の変換に伴いこの修道院の役割も大きく変わった面白い経過があります。19世紀には精神異常患者を受け入れる施設として使われました。これは、修道院が宗教的な役割から離れ、医療や社会的な福祉施設として転用されるようになった当時の社会的ニーズを反映しています。
20年以上かけて、放置された施設は修復改築され、今では文化施設や観光地として訪れる人に開放されています。修道院の歴史的な建物や庭園が残されており、かつての医療施設としての役割の跡がみられ、時代と共に用途が変化していった歴史を身近に触れることができる場所となっています。
当時の患者たちの壁の落書き、女性棟と男性棟、狂人でも激怒タイプの狂人の部屋とか様々なカテゴリーに分けられていた事、入浴が治療に有効と考えられていて、そのバスタブが保存されていて、当時の様子がリアルに伝わってきます。
で、「狂人の木曜日」と言う謂れが生まれた訳は、この施設では毎週木曜日に狂人を施設外に連れ出してベルガモ市内に遠足し一般市民の中に混じる機会を設けていたのです。治療の一貫だったのでしょうが、今日ではお祭り騒ぎをするような一般的な行事を「狂人の木曜日」と呼ぶようになったとか。資料を読んだところ、治った患者の数は多かったそうですので、この「木曜日」が功をなしたのかもしれません。