クロイツベルクの夜|羽生 和仁|ナレッジワールドネットワーク|アクティビティ|ナレッジキャピタル

  • 2016.07.12
  • クロイツベルクの夜
オフィス引っ越し後の新しい拠点となったクロイツベルツ地区は、ベルリンの壁崩壊直後のパンキッシュな古き良き面影が残る、最後の砦のような場所。大学生や芸術家を中心に、若者にとって一番人気の場所。またこの一帯には1970年代から活躍している素晴らしいアーティストもたくさんいて、普通に飲み歩いていると、バーの席でとなり同士になった人物がとてつもない大物アーティストだったというのは日常茶飯事。

ある夜、onpaの新拠点となったフラットスペースを共有している友人で、サウンドアーティストでもあるグラーフ(Graf)と行き付けのバーに向かった。するとグラーフが「羽生、今夜は凄い人がここに来てるから紹介するよ」と耳打ちした。誰だろうと思いつつ、いつものように私はお酒ではなく「クラブマテ(CLUB MATE)」をオーダー。そしてグラーフはBECKSのビールを片手に、別の席にいる男のもとへトコトコと歩み寄っていった。彼らは互いにBECKSを持って乾杯しあう。数分ほど立ち話をしたあとグラーフが彼を連れて席に戻ってきた。

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そこで紹介されたのは、ヨーロッパの音楽史上で最初のパンク・ミュージシャンとメディアで取り上げられたというフォルカー・ハウプトフォーゲル(Volker Hauptvogel)というアーティストだった。ジャーナリストあがりの彼は、1978年、当時の西ベルリンでバンドを結成。その名も「Mekanik Destrüktiw Komandöh」。直訳すれば「機械修理技師の破壊的襲撃部隊」というなんともやっかいそうなバンドだ。しかも面白いのはこのバンド名のスペル。標準語と敢えて言われるところのドイツ語のスペルと見比べると、こっちは変なスペルで綴られている。で、このスペルを発音すると、これが地方アクセントを忠実に表したスペルだということがわかる。1970年代にどれほど土着的にパンキッシュな活動をしていたのだろう。その夜、フォルカーは著書を持ち歩いていて、どうやらその本の宣伝もしているようだ。その本は、彼がまとめたベルリンのパンクシーンだという。彼がその本を私にプレゼントするといいながら、たんたんと内容を説明してきた。そしてその本の中にある彼の若き日の写真。革ジャンを纏った彼は、スキンヘッドで細身で鋲付きのファッション。典型的なパンクスだぁと思いながら、今目の前にいる彼を二度見する。2016年のいま、ここで飲んでいるフォルカーは、ぽっちゃりとしたお腹を重そうに抱えて、頭は自然にスキンヘッドになっている、いいオヤジ感丸出しの笑顔がかわいいベルリナーだ。「羽生、これ一冊読めば、いまにつながるヨーロッパのパンクシーンはすべて理解できるよ。いつか日本語で出してみないか」なんてオファーされた。そういえば、確かに現代アートにも登場するような電子音楽家たちの中には、その昔かなりパンク色の強いギターバンドをやっていたアーティストが多い。ラスターノートン(raster noton)のフランク・ブレットシュナイダー(Frank Bretschneider)もそうだった。フォルカーはその本にサインまでしてくれて、しかも著書のCD版までプレゼントされた。私が知っているパンクスの歴史なんて一知半解だと反省。こうやってまた刺激的な一夜が終わった。

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特派員

  • 羽生 和仁
  • 年齢午( うま )
  • 性別男性
  • 職業キュレーター、メディアアートマネージメント

2001年ベルリンにて、メディアアートのキュレーションレーベルonpa)))))を設立。世界各国のアーティストやフェスティヴァルとの人脈を構築。ベルリンと東京のジェットセッターとして活動中。

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