銃の所持が広い範囲で容認されているアメリカでは、凄惨な事件がたびたび起きています。
国の統計によると、アメリカ国内の銃による死亡者の数は毎日100人を超え、一般市民が所持する銃の数は、なんと約4億丁にも上るのだとか。
銃の所持に賛成か反対かを決めるには様々なことを考慮すべきなので、ここで非難や批判を繰り広げるつもりはありませんが、今回のブログでは、いわゆる「アメリカの銃文化」を熱烈に支持する州として知られるテキサスに暮らしてみてこれまでに感じたことを書いてみようと思います。
アメリカ国民の間に広範囲で銃が普及することを支持している銃所持擁護派は、全米で最も影響力のあるNRA(全米ライフル協会)を始めとする強大な団体の力をよりどころにしています。
加えて、個人間で銃の売買を行う場合には、認定された銃販売店で実施されている購入者の身元確認、いわゆる「バックグラウンドチェック」を行う必要がない、という問題もあります。個人から銃を購入するのは非常に一般的で、銃器展示会でもよく行われています。
アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局(ATF)は銃器や爆発物、放火、タバコ製品の違法な流通にまつわる犯罪から国民を守る機関です。アメリカの銃器産業を管理する唯一の管轄連邦政府機関で、国境を越えて運ばれた武器の追跡も担当していますが、予算は非常に限られています。
アメリカの銃文化に対する批判的視点を人々に伝える役目を担っているのが映画です。
マイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン(Bowling for Columbine)」やガス・ヴァン・サント監督の「エレファント(Elephant)」は銃問題を取り上げた最もよく知られた作品ですが、この問題について全く正反対の扱い方をしています。前者は、アメリカ人は銃に対して規制を望むのと同じくらい、所持することに執着していると主張するドキュメンタリー作品です。一方、後者の「エレファント」は問題を観客に分かりやすく投げかけるスタイルの映画ではないですが、非現実的な雰囲気の中、観客を静かに圧倒し無意味で悲劇的な現実に没入させるような作品です。
英語に「An elephant is in the room」という慣用句があります。直訳すると「部屋の中のゾウ」ですが、「議論すべき非常に大きな問題があるのに誰もが見て見ぬ振りをして、議論しようとしない」といった意味があります。
私は銃の使用がとても厳しく規制されている国からやって来たので、アメリカの銃文化がその時々の世論にどんな影響を及ぼすのかがよく分かりますが、ほとんどの場合、銃の問題はずっとタブー視されてきました。銃を所有することは車を持つことと同じぐらい当たり前のことだ、という考え方が歴史的に根づいているのです。
アメリカでは(テキサスではなおさらに)人々は憲法で定められた「銃で自分の身を守る権利」を主張していますし、多くの人がいざという時に使う自己防衛手段として拳銃やライフルを自宅に保有しています。
アメリカで防衛手段として武装権が策定されたのは、ヨーロッパ人によって植民地化されていた時代のことでした。
再び映画の話に戻りますが、映画はアメリカの銃にまつわる習慣を映す鏡です。ほとんどのアメリカ映画を見ると、ピストルやライフルが家のどこかに隠されていますよね。
他の州と異なり、テキサスでは銃を持ち歩くことも認められています。なので、人々はまるでハンドバッグのようにライフルをぶら下げて歩き回ることができるのです。
国内の銃規制の議論は二極化しています。防御手段としてだけでなく、所有者の精神安定のためにも銃が必要だ、と主張する人たちもいます。
一方、銃規制賛成派は「より安全に暮らすために暴力的な物を所持する」と言う考え方は全く理にかなっていない、と主張しています。
銃が思いもよらない目的で使われるようになってきたことは間違いありません。銃を持つことで治安が良くなるのなら、アメリカは世界で最も安全な国になっているはずですが、現実がそうではないことは数字が物語っています。
- 2022.12.12
- 部屋の中のゾウ ―テキサス、そしてアメリカの銃問題―