冷蔵・冷凍技術のない時代、捕獲されたマグロは、塩漬や干物などに加工され、グルメ垂涎の食材として地中海各地へ出荷されていました。その中には、ローマ人の食卓に欠かせなかった調味料『ガルム』もありました。マグロの端肉や内臓に小魚などを塩蔵発酵させた、いわゆる魚醤ですね。このマグロ産業*で大いに賑わったのがカディスという町でした。スペインの南西の大西洋岸に位置するこの町は、ブリタニアとの錫(スズ)貿易の中心地でもあったようです。紀元前一世紀の歴史・地理学者ストラボンによると、当時は地中海世界でローマに次ぐ第二の都市だったとか。
[caption id="attachment_449" align="aligncenter" width="350"] 写真1:紀元前3世紀頃、カディスで鍛造されたドラクマ硬貨の裏にはマグロ。表はフェニキアのヘラクレス(メルカトル)神。 [/caption] アルマドラバ漁は下火になりましたが、カディス県では、まだ4つの町がその伝統を守っています。その中の1つは、マグロ漁が盛んで、名前にもマグロを冠したZahara de los Atunes(サアラ・デ・ロス・アトゥネス、直訳は『マグロのサハラ』かな)。この村では、毎年、アルマドラバの時期になると、Ruta del Atún(ルータ・デル・アトゥン『マグロ巡り』*2)というお祭りを開催します。今年は5月12日から1週間でした。マグロ解体ショーで幕を開け、39軒もの飲食店がマグロを使ったタパス料理のコンクールに参加。マグロ音頭やマグロ関係の展覧会など、マグロ一色で盛り上がっていました。
写真2:マグロ祭りのオープニングは、マグロの解体ショー。重さ210kgのマグロを解体するのに、二人で12分でした。
この村から10Km程度離れた浜辺には、紀元前200年頃にローマ人が建設したBaelo Claudia(バエロ・クラウディア、『クラウディウス帝のバエロ』)という遺跡があります。マグロ産業の中心地として、水揚げや加工済み製品の出荷の便宜を考え、浜辺に築かれたものです。マグロ解体場、塩蔵場や魚醤発酵甕に加えて、村に比して立派な公共広場、野外劇場や神殿などがあった跡は、昔日の繁栄を偲ばせます。広場中央に立つローマ皇帝トラヤヌス*3の石像が見おろすビーチには、今では、北ヨーロッパから太陽を求めてやってきた旅行者たちが寝そべり、さながら水揚げされたマグロの群れのようです。
[caption id="attachment_453" align="aligncenter" width="300"]写真3: Baelo Claudia(バエロ・クラウディア)遺跡の塩蔵槽と魚醤発酵甕。[/caption]
[caption id="attachment_450" align="aligncenter" width="225"]写真4:Baelo遺跡の名前を付けた珍味Mojama(モハマ)というマグロの干し物。2200年前と同じ味かも。[/caption] <註>
*1.マグロ達-スペイン語ではAtún rojo del Atlántico(直訳は大西洋赤マグロ)、
英語ではAtlantic Bluefin Tuna(直訳は大西洋青ヒレマグロ)、
日本語では大西洋黒マグロのこと。色とりどりです。
*2.Ruta del Atún-『マグロ巡り』の公式HPはhttp://rutadelatun.com/
コンクールに出品されたタパス料理もご覧頂けます。
*3.イスパニア(スペイン)のセビリア出身。言ってみればスペイン人のローマ皇帝。