• 2015.06.26
  • ラ・マンチャの男
2015年5月19日、ミュージカル 『ラ・マンチャの男』製作発表が大阪で行われました。その日から丁度10年と1日前の2005年5月18日、1037回目*1の公演が名古屋で終了後、主演の松本幸四郎さんは、カーテンコールで“ラ・マンチャ州民栄誉賞”を受賞しました。

2005年は『ドン・キホーテ』前篇出版から400年目、2015年は後篇出版から同じく400年目です。本家『ドン・キホーテ』同様、ミュージカル『ラ・マンチャの男』も、この節目々々の年に関係が深いようですね。

ラ・マンチャは、スペインのほぼ中央に位置する乾燥した地域の名前です。8世紀から15世紀までの約800年間、イベリア半島にはアラブ王国が存在したことから、乾いた土地や平な高地を意味するアラビア語が起源だとか。

この地方を舞台に書かれた物語が『ドン・キホーテ』、原題は少々長い『ラ・マンチャの機知に富んだ郷士ドン・キホーテ』。でここから『ラ・マンチャの男』と言えばドン・キホーテとなるわけです。

スペイン広場
写真1:マドリードのスペイン広場。
中心にある作者セルバンテスの石像が見下ろすのがドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像
現実に折り合いをつけて、あるがままを受け入れ、あるべきを諦めるのは一番の狂気だとして、理想を求めて突き進むドン・キホーテと女房役の従者サンチョ・パンサ。二人の姿は多くの人々に感動を与え、勇気を湧きたたせました。

風車と羊
写真2:カンポ・デ・クリプターナ村の風車と羊。
『ドン・キホーテ』にも登場する絶品マンチェゴ・チーズは、この羊の乳で作ります。
2005年6月末、1086回目の公演が東京帝国劇場で終了後、松本幸四郎さんは、ドン・キホーテの故郷スペインを初めて訪れました。到着するとまず、マドリードの中心にあるスペイン広場*2へ出向いて、ドン・キホーテにご対面。その後、ラ・マンチャのカンポ・デ・クリプターナ村では、有名な風車に対峙しました。

ラ・マンチャ州*3のバレラ首相から“州民栄誉賞”を受け、1969年の初演から36年間で1000回以上の公演を務め、ご自身も60歳を超えて、『ラ・マンチャの男』を卒業する心積りだったのでしょうか。初めての帰郷でしたが、スペイン広場のドン・キホーテとラ・マンチャの風車から、「これで折り合いを付けるつもりなのか、まだこれからだ。あるべき姿に向かって突き進め!」と叱咤、激励され、再び『ラ・マンチャの男』を続けるきっかけになったと拝察します。

 
ラマンチャTシャツ前
ラマンチャTシャツ後ろ
写真3:  2005年、『ラ・マンチャの男』公演の区切りの年に作られた記念のTシャツ、前と後ろ。
あれから10年、公演は回を重ねとうとう1200回を超えました。今年の“遍歴の旅”は大阪から始まります。大坂夏の陣、さらに熱くなりそうですね。

<おまけ>
夏のスペインでは冷たい“ガスパッチョ・スープ”が定番です。トマト、ピーマン、キュウリ、玉ねぎ、ニンニク、パン、等を水、オリーブ油、酢、塩と攪拌した、どちらかと言えば野菜ジュース。

お手軽ガスパッチョ
写真4:お手軽ガスパッチョ・パック。
飲み切サイズもあります
幸四郎さんが市川染五郎時代の1970年、ブロードウェイのマーティン・ベック劇場で『ラ・マンチャの男』合計60回の公演を務めました。その折、滞在していたホテル近くのスペイン料理店で、同行した新婚の奥さまと二人で食べた“ガスパッチョ”に元気づけられ、それ以来松本家の定番メニューの一つだとか。ちなみに某有名ハンバーガーチェーンのメニューにも登場します。

  • <註>
  • *1 1037回- 山本安英さんの『夕鶴』通算上演回数と同記録。
  • *2 スペイン広場-『ドン・キホーテ』続編出版300年を記念して1915年に造られた広場です。
  • *3 正式名称は カスティージャ・ラ・マンチャ州

特派員

  • 山田 進
  • 職業スペイン語・日本語通訳

スペイン政府より滞在許可と労働許可を頂き、納税・社会保険料納付をはじめて早37年。そろそろシルバー人材センターへの登録も視野に入った今日この頃、長い間お世話になったこの国のことを皆様にご紹介できることを楽しみにしています。

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