今を去ること1900年前、スペインはセビリア出身のトラヤヌスがローマ帝国の皇帝だった時代、その領地は英国離脱前の欧州連合全加盟28か国をすべて合わせたよりも広かったということです。
欧州というより北アフリカや中東の一部を含む地中海帝国だったのですね。 その大帝国の中でも重要な領土であった現在スペイン・ポルトガルのあるイベリア半島には今でもいたるところにローマ時代の遺跡が残っています。世界遺産として知られているセゴビアの水道橋やエボラのローマ神殿などは日本の皆さまにも有名ですが、歴史が浅いといわれているマドリードでさえローマ人の作った石畳の道が残っているほどです。というわけで当時のイベリア半島はまさにローマ一色と思いきや、北部山間地に地味なケルト人達がつつましやかに生きていた遺跡があるのです。 中央ヨーロッパからやってきた彼ら、イベリア半島では中心部から北部にかけて集落を作りました。また海を渡ってイングランドへも進出しています。このケルト人が造った要塞であったり住居であった遺跡は”カストロ(Castro)” と呼ばれ、特にポルトガル北部やスペイン北西端のガリシア州の多くみられます。 現在残っているのは石を積んだ土台部分だけですが、当時は茅葺き屋根でおおわれていたらしく、いくつかの復元された姿をみることができます。時代としては日本の弥生時代に相当するのですが、小学生の遠足で訪れた静岡の登呂遺跡を思い出してしまいました。
この素朴な集落 から900km程南下すると、以前このブログでご紹介したマグロの町バエロ・クラウディアや当時ローマに次いでヨーロッパ第二の都市であったカディスなどがあります。 地中海文明との圧倒的な“差”を感じさせられますね。
この遺跡を見てケルト人の生活に思いを馳せながら、イングランドに住み着いたケルト人の末裔達は、2000年前にローマ帝国に征服された腹いせで欧州帝国(EU)に離縁状を叩きつけた(Brexit)のかしら、などと妄想してしまいました。妄想ついでにフランスのベストセラー・コミックの英雄、ケルト人(ガリア人)のアステリックス(Asterix)は古代ローマ時代、再三服従を迫るジュリアス・シーザーの軍隊を仲間と共にてんてこ舞させ、ブルターニュ地方の村(カストロ)を守り続けます。もしかしたらFrexitの旗振りにかりだされるかも、などと妄想がさらに広がる遺跡訪問となりました。