• 2017.02.14
  • 平和について考えるヒトトキ
ミラノの高級ブティックが並ぶ通りにあるモランド邸は 、ファッションの博物館となりモードのイベントに利用されています。が、今回催されている展示会は、戦後のミラノの復興がテーマですので、鑑賞に行く前までは不思議な取合わせに見えました。

ところで、日本の戦後の復興は、経済大国へまっしぐらという勢いで世界を驚かせました。
が、ミラノの戦後10年の復興も負けていなかったことをこの写真展示会を通して知りました。

この展示会は、2つのセクションに分かれていて、最初は、黒い壁と窓に黒いカーテンがかけられた黒ずくめの部屋が続く中の戦後直後の写真、そして途中から真っ白の部屋に変わり、復興に希望の光が見えてきた当時の写真が飾られていました。単純ではありますが、これが実に効果的で、重苦しく胸の張り裂けるような思いと、希望に満ちたミラネーゼの様子という二つの対照性を実感しました。

ミラノは、イタリアの中で爆弾投下の被害を最も多く受けた街です。それは、商業的に繁栄していたので、当然のごとく破壊の的になったのです。展示会には、当初、爆弾投下を目の当たりにしたお年寄りもいらしていて、爆弾の炸裂音は未だに鮮明に耳に残っている、と涙ぐみながら語っていました。

あの当時、破壊された町や戦時下の人々の様子を撮影することは政治的に禁止されていたそうなので、展示会の写真は、素人が隠し撮りしたものが多いのだそうですが、なおさら意味深いショットとなっています。

戦禍のミラノは、建物を爆弾から守る為に色々工夫をしました。 爆弾投下の標的にならないように、各家庭は窓に黒いカーテンをかけたことは勿論、自転車で街を回っていたおまわりさんは、自転車の反射板でさえも取り外していたそうです。ドゥオモの頂上に飾られた金色のマドンナ像にいたっては、布で覆われました。

ところでこれらの写真を鑑賞していて、 ドゥオモは他の建造物に比べると不思議なことに損傷が少ないことに気がつきます。
それは、白い大理石でできたドゥオモを目立たなくするために黒く塗ったのです、と言いたいところですがそうではありません。

ドゥオモは強運の持ち主だったからです。ドゥオモに落ちてきた爆弾は、たまたま不発弾だったことに加え、ドゥオモが奇跡的に生き延びたのは他にも理由がありました。それは建設材料にあります。炸裂した爆弾は、大理石で頑丈に作られたドゥオモに見事にはじかれ、一方、ミラノの他の木造建物は、落ちて炸裂した爆弾が燃え出して、焼け落ちてしまう運命をたどったという訳です。

復興の際にミラノに建てられたビルは、それまでの掟を破って、ドゥオモの高さを超える建設が始められてしまいました。ただし、掟破りの各高層ビルの最上階にはマドンナ像のレプリカを設置する約束で、事をおさめているとか。

各高層ビルの最上階にマドンナ像が本当に飾られているかどうかは、一般人には確かめる方法がないそうですが「マドンナ様、失礼いたします」という敬意を払い続けることは、歴史と共に発展していくミラノの素晴らしさの一面ではないでしょうか?

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特派員

  • 三上 由里子
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地に、ソロコンサートアンサンブルの編成で演奏活動の傍ら、演劇、画像、舞踊やライブ演奏を組み合わせたマルチスタイルの舞台プロデュース。

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