ダヴィンチのパトロンだったイル・モーロ公は、このぶどう園のそばにあるあの有名な「最後の晩餐」の作成をダヴィンチに命じて、その報酬はこのぶどう園にしたとか。
天才画家や天才アーチストと言うと、ピカソなど裕福に暮らした画家もいるにもかかわらず、なぜか私は貧乏して苦労の生涯だったに違いない、ときめてかかってしまうところがあって、このぶどう園と邸宅を見て大変に驚愕したわけです。
ダヴィンチがこのぶどう園内でくつろいだのは、結局のところ数年間だけだったようですがとても気に入ったらしく、ミラノを去らざるをえなくなりいつ戻ってこられるかもわからない状態になっても、信頼おける知り合いに貸すという解決法を見つけて何が何でも手放そうとはしなかったそうです。お見せする写真でも十分にぶどう園の魅力が伝わると思うので、ダヴィンチが大事にしたというのが伝わるでしょう。
今日の都市が持つ独特の喧噪で、なおさら隔離された雰囲気が浮き彫りになってくるのですが、その当時においても、落ち着いた雰囲気を醸し出していたにちがいありません。残念ながら当時植えられていたぶどうの木は火事にあって焼けつくされてしまったとかで、今は新たに植えられたぶどうが栽培されています。
ぶどう園に漂う空気からミラノの中心地にこんなにも長閑かな空間が世紀を超えてひっそりと息を潜めていたことにミラネーゼ達と共に皆さん驚かれることでしょう。ぶどう園で次の作品の構想を練っているダヴィンチを思い浮かべて、しばし佇んでみたくなる場所です。