• 2022.10.14
  • ゴミの山?
平坦な街並みのミラノ。そんなミラノの北西部に小さな丘があって、25年前には木々も低く、この丘は見晴らしの良い高台であったことを覚えています。頂上にいくと心地よい風が通り抜けて、気持ちの良い場所。

螺旋状に散歩道兼ジョギングコースが頂上へと導いていくこの丘は、星の山という名前。夜空のお星様に手が届きそうなくらい高い山でも無く、可愛らしい小山なので、大袈裟なネーミングだなぁなんて思っていたのですが、実は人工的に作られた山で深い謂れもあるということなのです。


ミラノは戦時中に爆弾で大打撃を被って、ミラノ市内は、崩壊した壁やバルコニーの破片、屋根やテーブルやベッドなどの破片や屑で埋め尽くされたそうです。戦後の立て直しの第一歩として、瓦礫類を街中から取り除くことが始められましたが、それらの瓦礫類は、サン シーロと呼ばれる地区に集められるのが、一時的な場所として適当だと判断されて、瓦礫が積まれてゆきました。それゆえ、当時はその地区の名前であるサン シーロの山と呼ばれていました。 

貯まる瓦礫の処理方法の解決も対策も見つからないうちに、瓦礫はどんどん増えていき、ミラネーゼ達の家の墓場と市民の目には映り、皮肉った歌まで出来てしまったそうです。

それゆえに、いっそのこと、この瓦礫の山を本当の山に変えてしまいましょうという閃きの案が生まれて、土を被せ木々を植えたり、散歩道を作ったりしました。その工事は20年も続き、最初は、野球場くらいの敷地だったのでしょうが、最終的には、10倍近くになったとか。

今日の美しい姿に仕上がるまでには、泥臭い経過を辿った山。というのは、本当に戦争で破壊された瓦礫だけが埋まっているのか?とミラネーゼ達は内心思っていて、本当の山に仕上げられる前には、密かに頻繁に往来していた人種から、盗難車の不要部分や、それこそ死体まで捨てられていたに違いない、と表沙汰にはしていないけれど、思っている人が多いようです。

それゆえに、暗い悪いイメージを挽回するために、まずは名前が星の山へと変えられました。それから画期的な工夫の一つとして、山の西側に人工雪を運び、照明やスキーリフトまで設置して、スキー場を作った時代があったと云われています。冬季時に会社や企業のスキー競技会の催しなどに使われ、子供達もソリなどで遊んだとかで、スキー場を作ったアイディアは大成功を収めたそうで、思い切ったことをしたもんだな、と感心してしまいます。屋内スキー場を作った日本の事を思い出します。

名誉挽回を果たした後は、この山にスキー場は不要になったのでしょうか、今日となってはスキー場があったことでさえ知らないミラネーゼがいるくらいです。

特派員

  • 三上 由里子
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地にソロとアンサンブルの演奏活動中。クラシックからポップスまで幅広いジャンルのレパートリーを持ち、イタリアの人気コメディアンの番組にバンド出演中。

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