• 2026.06.03
  • 見えない順番
ミラノで生活を始めたばかりの頃、私には小さなストレスがいくつかありました。
その中の一つは、バールでも郵便局でも、なぜか自分の順番が来ないという現象でした。

正確に説明すると、私は確かに並んでいるのです。しかし気がつくと、後から来たはずの人が先に注文している、そんなことがしょっちゅうありました。
しかも、その人は悪びれる様子もなく、店員や窓口の係員もそれを当然のように受け入れているのです。私にとっては不愉快な出来事で「ん?人種差別されたのかな?」と毎回、眉間にシワを寄せていたものでした。

日本であれば、列は目に見えるどころか、番号札が普及していなかった時代でさえ整然とした列が成立していました。「最後尾はこちらです」という安心感の中で、私たちは静かに自分の番を待ちます。そうした習慣が、日本には深く根付いているのです。

ところがイタリアでは、その「安心感」が存在しません。
最初は「なんて無秩序な国なのだろう」と思い一人で憤慨しながら、あるのか無いのかわからない順番待ちをしていたものです。けれども何度も同じ状況に遭遇するうちに、あることに気づきました。

これは「並んでいない」のではなく、「見えない形で並んでいる」のだということに。

例えばバールでは、客同士がなんとなく互いの到着順を把握していて、左右前後をさりげなく確認しながら、自分の一歩を踏み出していきます。そして店員も、その場の空気を読みながら順番を判断することもあります。つまり、自分の存在をアピールしなければ、そこに「いない人」として扱われてしまうこともある、ということなのです。

極端に言えば、ここでは「次は私の番です」と示すことがコツなのです。それはなんだか、餌を持ってきた親鳥に、他の雛鳥よりも強くアピールして餌をもらおうとする光景を思い出してしまいます。

つまりこの国では、黙って待つ人よりも、自分の番を取りに行く人が優先される傾向があるのです。この違いは単なるマナーの違いではなく、前提となる価値観の違いなのだと、年月が経ってからようやく理解しました。

日本では、ルールが個人を守り、個人はルールに従うことで安心を得ています。
一方イタリアでは、ルールよりも人と人との関係や、その場のやり取りが優先されます。

実際、日本を訪れたイタリア人が、ホームに描かれた印に従って整然と列を作り、静かに乗車を待つ日本人の姿に感嘆して私に驚きとして語ることがよくあります。

そして今では、そんなイタリア式の「見えない列」に私も慣れたところで、近年は番号札が普及して、そんな暗黙の了解的なシチュエーションは消えつつあります。

異なる文化の中で感じる違和感は、時にストレスにもなりますが、その裏側にある考え方に気づいたとき、少しだけ世界の見え方が変わる気がします。
「並ぶ」という一見ささいな行為の中にも、その国らしさが静かに表れているのだと思うのです。

特派員

  • 三上 由里子
  • 職業音楽家

チェリスト。ミラノを本拠地にソロとアンサンブルの演奏活動中。クラシックからポップスまで幅広いジャンルのレパートリーを持ち、イタリアの人気コメディアンの番組にバンド出演中。

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